決められないのは昔から|『国の死に方』感想
NHKのよる★ドラ『書店員ミチルの身の上話』が面白い。戸田恵梨香のクズッぷりが痛快ですが、ナレーションの「夫」が誰なのかを推理するミステリとしても楽しめます。周囲から見ればクズなんですが、閉塞感しかない毎日を送っていると、ああいう行動に出たくなる気持ちもわかる。
役柄とのカウンター・バランスというわけじゃないでしょうが、戸田恵梨香は『輝く女』にも出演。
『未完のファシズム』著者の新刊とあっては買わざるを得まい!
日本史、特に近代史の要点をおさらいしつつ、当時、問題だったことが今また繰り返されていることに恐怖を覚える。「これだけ類似している」と強調しないぶん、怖さが強調されるのだ。
例えばポピュリズムの問題。日本は1925年に普通選挙法が成立し、25歳以上の成人男子であれば、原則として選挙権を得た。進歩的に見えるが、果たしてそうか。それまでは一定額の税金を納める者にだけ選挙権が与えられたので、候補者は、その限られた人から票を買えば良かった。ところが選挙民が一気に増えたため、票を買うことはできない。「選挙民の増大によって大金を撒いても海に捨てるが如しである。となれば、これからの選挙は、はした金よりも口先である」との某代議士の言葉が的を射ている。
選挙民の判断力も問題になる。その場の空気で動かされるので、選挙後に公約が守られないことにただ戸惑うばかり。次の選挙では懲罰的投票行動が行われるが、判断力が高まっているわけではないので同じことが繰り返され、状況はどんどん悪くなっていく。この話、昨今の選挙について言っているわけではない。
昭和初期にはデフレがあった。第一次世界大戦が終わって戦争特需がなくなった。関東大震災に襲われ、復興特需もあったが、それより失われたもののほうが大きかった。朝鮮、台湾から安い植民地米が入るようになり、国産米の価格が下落した。
結局、有効な国内の農業保護政策を打ち出すことはできず、大量の農業人口が都市部に流入、安い労働力として便利に使われることになる。
グローバルな経済は危険だ。しかし日本一国では資源も、食糧も、労働力も賄えない。ならばブロック経済が有効ではないか? この思想は日満経済ブロックとなり、それでも足りないので日満支経済ブロックに、東亜協同体論へと発展し、大東亜共栄圏へとつながる。そうなると他のブロックとの衝突は避けられず、戦争へと発展することになる。
これは戦前の話。今のことを言っているのではない。
映画『ゴジラ』(1954年)にも、当時の日本と今の日本、両方を見ることができる(今度、確認しよう。LDしか持っていないけど)。地震に津波、原発事故の象徴のようなゴジラが東京を襲うが、政府は何ら有効な対策を打てない。民間企業(奇しくも東電)とボランティア(芹沢博士)が身体を張る。
そこで本書では田中智学の息子、里見岸雄が生涯のテーマに掲げて研究した「国体」について触れる。国家は理念的には二つの社会によって構成される。一つは利益社会。平時なら利益社会は機能するが、非常時にはまともに働かない。利益社会を存続させるため、誰かが犠牲になる犠牲社会が必要となるのだ。
しかし考えなく戦争放棄を選んだ日本は、国民に犠牲になれと命じることができなくなった。国体の半分が空白のままなのである。『ゴジラ』が襲った日本は、そんな国だった。そしてゴジラが象徴する災厄に襲われた今の日本もまた、同じなのである。
芹沢博士がどこかにいればいいけれど、いなければ国が死んでしまうかもね、という話。さもなくば犠牲社会を持つことを許容しなければならないのだろう。
役柄とのカウンター・バランスというわけじゃないでしょうが、戸田恵梨香は『輝く女』にも出演。
『未完のファシズム』著者の新刊とあっては買わざるを得まい!
日本史、特に近代史の要点をおさらいしつつ、当時、問題だったことが今また繰り返されていることに恐怖を覚える。「これだけ類似している」と強調しないぶん、怖さが強調されるのだ。
例えばポピュリズムの問題。日本は1925年に普通選挙法が成立し、25歳以上の成人男子であれば、原則として選挙権を得た。進歩的に見えるが、果たしてそうか。それまでは一定額の税金を納める者にだけ選挙権が与えられたので、候補者は、その限られた人から票を買えば良かった。ところが選挙民が一気に増えたため、票を買うことはできない。「選挙民の増大によって大金を撒いても海に捨てるが如しである。となれば、これからの選挙は、はした金よりも口先である」との某代議士の言葉が的を射ている。
選挙民の判断力も問題になる。その場の空気で動かされるので、選挙後に公約が守られないことにただ戸惑うばかり。次の選挙では懲罰的投票行動が行われるが、判断力が高まっているわけではないので同じことが繰り返され、状況はどんどん悪くなっていく。この話、昨今の選挙について言っているわけではない。
昭和初期にはデフレがあった。第一次世界大戦が終わって戦争特需がなくなった。関東大震災に襲われ、復興特需もあったが、それより失われたもののほうが大きかった。朝鮮、台湾から安い植民地米が入るようになり、国産米の価格が下落した。
結局、有効な国内の農業保護政策を打ち出すことはできず、大量の農業人口が都市部に流入、安い労働力として便利に使われることになる。
グローバルな経済は危険だ。しかし日本一国では資源も、食糧も、労働力も賄えない。ならばブロック経済が有効ではないか? この思想は日満経済ブロックとなり、それでも足りないので日満支経済ブロックに、東亜協同体論へと発展し、大東亜共栄圏へとつながる。そうなると他のブロックとの衝突は避けられず、戦争へと発展することになる。
これは戦前の話。今のことを言っているのではない。
映画『ゴジラ』(1954年)にも、当時の日本と今の日本、両方を見ることができる(今度、確認しよう。LDしか持っていないけど)。地震に津波、原発事故の象徴のようなゴジラが東京を襲うが、政府は何ら有効な対策を打てない。民間企業(奇しくも東電)とボランティア(芹沢博士)が身体を張る。
そこで本書では田中智学の息子、里見岸雄が生涯のテーマに掲げて研究した「国体」について触れる。国家は理念的には二つの社会によって構成される。一つは利益社会。平時なら利益社会は機能するが、非常時にはまともに働かない。利益社会を存続させるため、誰かが犠牲になる犠牲社会が必要となるのだ。
しかし考えなく戦争放棄を選んだ日本は、国民に犠牲になれと命じることができなくなった。国体の半分が空白のままなのである。『ゴジラ』が襲った日本は、そんな国だった。そしてゴジラが象徴する災厄に襲われた今の日本もまた、同じなのである。
芹沢博士がどこかにいればいいけれど、いなければ国が死んでしまうかもね、という話。さもなくば犠牲社会を持つことを許容しなければならないのだろう。
by non-grata
| 2013-01-23 14:40
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