おっさんノングラータ

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(M18)(M19)『グランド・ブダペスト・ホテル』と『青天の霹靂』

観たけれど、記録していなかった2作品。

グランド・ブダペスト・ホテル』は台湾からの帰りの飛行機の中で途中まで観て、最後まで観たかったけれど体調不良により挫折。地味な映画だから梅田で単館公開かと思ったら、近所の映画館で上映してくれたので助かった。やるじゃん、MOVIX八尾!

東欧の架空の小国ズブロフカを舞台にした話だが、よくよく考えるとファシズムの台頭と戦後の赤禍に翻弄されたルーマニアの話じゃなかろうか。あるいは素直にハンガリーかもしれない。現代/1960年代/1930年代に焦点が当てられているしね。ホラ話かと思ったら、最初と最後に出てくる「鍵」で実話だったんですよ──舞台と年号はごまかしているけれど、映画で描かれたような話は現実にあったんですよと最後に明かされる。面白くないこともなかったが、救われない話。映像が印象的だった。

青天の霹靂』。事前情報なしで観たが(正確には途中で予告を見たことを思い出したけれど)、よくできた映画だった。深夜番組で劇団ひとりをちょくちょく見かけ、「ゴッドタン キス我慢選手権」には大いに笑わされた(あれ、映画になったんですよね。いろいろすごい)。芸達者な人が全力で泣かせにくるんだから、そりゃあ泣かされるわな! 大泉洋も良かった。

最近の邦画に多い、何でもかんでもナレーションで説明するというのではなく、役者の演技で語らせるというのが良かった。柴咲コウってこんなに可愛かったんだ!



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by non-grata | 2014-07-30 12:02 | 映画

(M17)体調崩すほどつまらない?|『GODZILLA ゴジラ』感想

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土用の丑も近いということで、セブンイレブンで「にょろ〜り う〜なぎチョコパン」を食べてきました。r12〜R165〜R169〜R24〜R370〜R309〜r30〜R166、という、早朝お散歩コースの途中、飛鳥駅近くのセブンイレブンにて。
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DN-01に乗った後だと、こいつの軽さがよくわかる。品質面でいろいろ言われるDUKE125ですが、今のところ異常なし。




d0252390_1322156.jpg特にゴジラ映画に思い入れがあるわけでなく、1954年版『ゴジラ』を神格化しているわけでもなく、1998年版『GODZILLA』が嫌いでもない人間が、『GODZILLA ゴジラ』を観に行った。以下、ネタバレあり。

1954年版『ゴジラ』のリメイクではなく、「ゴジラ vs 怪獣」の系譜に当たる作品だった。日経新聞の映画評で気づいておくべきだったが──一読した時は「何てネタバレを!」と怒ったものだが、怪獣映画に興味がない人はこのレビューで危機を回避できたのだ。実は親切なレビューだったのだ──、読んだのはチケットを確保した後だったのだ。

予告だけの印象では、出てくる怪獣はゴジラだけ。60年ぶりのリメイクということで、また日本が54年の映画公開後に三度目となる放射線の恐怖を味わったことで、それなりの内容になっていると期待させられた。もちろん期待するのは観客の勝手なので、その意味でこの予告編はよくできていたと言える。

面白かったのは、ビキニ環礁の水爆実験で的にされた空母〈サラトガ〉だが、実はゴジラを追い詰めるために使われた(らしい)こと、そして6代目〈サラトガ〉が現代のゴジラ追跡に投入されたという因縁。実艦は94年に退役、間もなくスクラップになるという。

「怪獣映画としては面白かった」という意見をネット上で見かけたし、一緒に観た人もそう言っていたから、きっとそうなんだろう。怪獣映画を期待していなかった者としては、夫が眼前で奥さんを亡くすシーンの演出の古臭さに驚かされ、その夫(原発の技師)がストーリーにもっと関わってくるのかと思えばそうではなく、15年後に息子が父親の立場となった時、同じような状況に陥るのに奥さんを助け出す、というカタルシスもない。このできの悪いエピソードが、ゴジラ映画のどれかにあった何かのオマージュだったら、そういうことなんだろうが。渡辺謙とそのアシスタント(?)の存在感のなさにも驚かされる。

対怪獣戦の描写も雑。敵を誘引するため核ミサイルをサン・フランシスコに運ぼうとするが、航空機は敵が放つ電磁パルスの影響で接近できない。そこで列車で運ぶことになるが、あっさり敵に破壊される。ミサイルは無事だが、何故か敵は手を出さない(敵を誘引するためのものじゃなかったの?)。結局、ミサイルはヘリで運ばれることになるが、えーと、電磁パルスの影響は? フレームに収まりきらないから米海軍の軍艦がゴジラに超接近して航行するのは仕方がないとして、敵が電磁パルスを放つとわかっていながら戦闘機による近接攻撃を試みて、ばたばた撃墜されるのってどういうこと? 主人公が爆弾処理のエキスパートなのに、最後、核ミサイルが無駄に爆発するってあり?

早々と続編が決まったそうで、海上映画好きには朗報なんじゃないですかね。映画の途中から、ワシントン・ポストの記事「マイケル・ベイ(と中国人)がハリウッドのコメディ映画を抹殺」が頭の中を支配するようになり、公開が終わる前に『her/世界でひとつの彼女』を観に行こう、と心に決めたのだった。



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by non-grata | 2014-07-28 14:18 | 映画

(B37)相対評価は永遠に不幸せ|『女の子は、明日も』(飛鳥井千砂)感想

マクド/ファミマで使われていた中華腐肉が話題ですが。

以前、川根町を旅行した時、道の駅っぽいところでお土産を買ったわけです。ちゃんと調べなかったこちらも悪いんですが、お茶漬けの素なら地元産に違いないと思い込んで。商品ラベルの「販売者」が地元だったから大丈夫ではないかと。ところが別の地域の土産物屋で同じ商品がありましてね。やっぱり「販売者」はその地域の地元。

食品表示に製造者の表示義務はないそうで、以来、商品ラベルをチェックするようになりました。そうすると、いかにも地元産を唱っていながら、製造者表示があるもののほうが少ないことがわかります。滅多なことはないとは思いますが、「原材料の生産地から加工、物流、お店の商品にいたるまでの全工程において、世界中のマクドナルドが協力して取り組んでいるマクドナルドグローバル基準と日本の法律・ガイドラインに従った厳しい管理をしてい」るはずのマクドが腐肉売るくらいだから、製造者表示がないものは敬遠したほうが無難でしょう。




d0252390_15294281.jpg高校の同級生4人が14年後に再開し、定期的に食事会を開くようになる。1人は歳の離れた勤務医と結婚した専業主婦。1人は結婚後も雑誌編集者として活躍するキャリア・ウーマン。1人は婚活パーティーで出会った相手と結婚し、マッサージ店で働いている。そして帰国子女だった1人は翻訳家として大成、グラフィック・デザイナーの夫と暮らしている。4人に共通しているのは結婚していること、そして今現在は子どもがいないこと。1人1人に焦点を当て、物語は進行していく。

各人に共通しているのは、相対的な価値に悩まされていること。これはもう誰だってそうで、物事の評価をする時、何かと比較をするのが一番簡単だから仕方がない。「この人と比べれば自分は幸せ」「あの人は何でも持っているのに何も持っていない自分は不幸せ」といった具合。しかし「他人の幸福を羨んではいけない。 なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから」というダンデミスの言葉は正しい。4人はそれぞれ別種の悲しみを抱えている。

4人とも、幸せは相対的な価値観では測れないことに気づかされる。全てのエピソードに胸を打たれるのは、読んでいるのが既婚の男性だからか。いやいや性別に関係なく、幸せとは何か、他人と家族になるとは何かを考えさせてくれる良書である。



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by non-grata | 2014-07-25 15:53 | 読書

(B36)「描いていないと馬鹿になる」|『歌川国芳猫づくし』(風野真知雄)感想

7月19日から21日まで、しまなみ海道〜福山〜倉敷〜福崎〜福知山を旅行してきました。20日はほぼ移動せず、実質2日間で約800km。DN-01のデビュー戦です。

高速道路はゆっくり走るぶんには問題なく、早く大型のスクリーンに交換して楽したいものです。峠道では車重を感じるものの、それ以前に自分が不慣れなのでもう少し何とかしたい。R427から福知山へ向かうR429の酷道は二度と走りたくありませんが。

ナビは、音声案内だけを頼りにGoogle Mapを使ってみましたが、まずまず実用レベル。しかし、節約のため手持ちのiPhonはデータ通信をオフにしてポケットwifiでインターネット接続しているので何かと面倒。RAMマウントをいじって再びPSPを搭載予定です。

まずはNarrative Clipの画像。
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山陽道? 連れの車(スバルXV)と一緒に走っておりまして、いつもだったらこちらが先行するところを、DN-01だと逆の立場に。のんびり行くのがいいんです。
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山陽道からしまなみ海道へ。一度最南端の大島へ行ってから大三島に戻り、それから福山へ行きました。
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大島では山道をぐりぐり上がってカレイ山展望台へ。ここから能島を見下ろすことができます。朝早かったからか見物人はゼロ。当日は狼煙リレーを行うとかで、展望台近くの空き地で狼煙の準備が行われていました。

大島では村上水軍博物館へ行き、その後で目の前にあった能島水軍へ。鯛の天ぷらをいただきました。
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お店には『村上海賊の娘』和田竜氏のサインも。
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食事の後は潮流体験へ。小説冒頭の描写がよくわかる、激しい潮流を間近で見られます。
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宿泊した福山市では瀬戸内料理が美味。しかし、その後の夜店で食べた鶏肉が悪かったのか激しい胃痛に襲われてダウン。何とか翌朝には復帰しました。この時期、毎週土曜日に駅近くで夜店を開いているのは賑やかで良いですね。

翌々日、倉敷から岡山ブルーラインで牛窓を経由しつつ日生からはR250で赤穂方面へ。ヘルメット頭頂部にGo Pro装着したような集団に煽られつつ姫路方面へ。そこから山陽道を利用して福崎へ上がり、R312からr8を西へ移動して水車公園のこっとん亭で麦とろ御膳をいただきました(リンク先、トイレの画像を載せなくても)。その後、r8を東へ移動してR427を北上。文句なしの快走路でした。前述した通り、R429経由で福知山へ入り、そこからは高速道路で帰還。途中のSAで「おばまガールズ」がフラダンスを披露しておりました。




d0252390_13254093.jpg2011年が歌川国芳没後150年にあたり、各地の美術館で展覧会が開かれた。残念ながら行きそびれてしまったが、猫好きとしては押さえておかねばならなかったところだ。

本作はその歌川国芳を主人公として連作短編で、「老い」を感じ始めた時期の物語。歌川国芳のことを知らなくても(私も、「猫の浮世絵師」くらいの認識しかなかった)クリエイターの苦悩と葛藤を描いた普遍的な小説として読むこともできる。

例えば「下手の横好き」。どうにも上達しない高齢の弟子がいるが、この旦那、とにかく春画を描くのが好き。それが高じてとある事件が起こるが、その執念が生み出したクリエイティビティには脱帽せざるを得ない。神は細部(ディテール)に宿るのか、それ以前にバランスが肝心なのかも考えさせられる話になっている。

北斎の娘お栄とのやり取りもそう。「高い塔の女」で国芳は言う。「描いていないと馬鹿になる。描いていれば、毎日、ちっとずつでも前に進んでいる気持ちになる」。国芳とお栄、クリエイター同士のやり取りが実にいい。

もちろん、猫好きにとっても楽しめるエピソードに事欠かない。歌川広重との勝負では、猫好きなら備えていて当然の「猫レーダー」(普通に通りを歩いているのに、どこにどんな猫がいるのかをたちどころに探知してしまう能力)の精度が試される。「猫がいなくなると、猫に置いていかれた気持ちになるのだ」は名言。

本作は「日常系ミステリ」に分類されることになるだろうか。国芳の風刺画が動物を使ったおかしみのあるものだったように、小説の中で謎が解き明かされていく様も、どこか温かみを感じさせるものだった。



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by non-grata | 2014-07-22 14:47 | 読書

(B35)満願成就は幸せなことか|『満願』感想

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鯨を思わせるフォルム、利便性よりデザインを優先したつくり、排熱が右ふくらはぎを直撃する欠陥……乗り手をパーツの一つとしてしか考えていないんじゃないかと思われるDN-01を手に入れました。ポジションは思ったほど楽ではありませんが、今朝方1時間ほど走って腰が痛くなるようなことはなかったので(これがXVだと30分間乗っただけで痛くなる)合格です。

予想外だったのはRAMマウントに取り付けたPSPが振動で吹っ飛んだこと。幸い、ジャンプして太股の上に落ちてくれたので助かりましたが、対策を講じなければ。




d0252390_8264410.jpg全6話の短編小説集。表題作『満願』をはじめ、人の秘めたる願いと、それが叶ったり叶わなかったりすることで生まれる物語が紡がれている。警察小説風な話あり、ホラーあり、私小説ありと、さすがの筆さばき。

一読して良い話に思えても、常に人が抱える暗部を描くことを忘れない作者、米澤穂信の作品がアニメ化されたのには驚かされたが(『氷菓』)、アニメ作品も、きちんとその暗部を掘り下げていることに感嘆した。その上で、人には闇をも雲散させる力があることを、アニメ作品では教えてくれた。えるたそ〜である。

人が願いを叶えようとする時に発する力の熱量が大きいほど、叶った後、あるいは叶わなかった時に襲ってくる虚無感が強くなり、それを緩和してくれる存在がないため、ビターなエンドとなる。『満願』にはえるたそ〜はいないのだ。

本作は惜しくも直木賞を受賞できなかったが、一ファンとしては満願(かどうかは知らないが)成就まで、作品の熱量をどんどん高めていってもらいたいものである。



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by non-grata | 2014-07-18 09:01 | 読書

(B34)手作り感あふれる……|『先生、ワラジムシが取っ組みあいのケンカをしています!』感想

主に本を買っている書店は3カ所で、紀伊国屋書店(昼休み)、ジュンク堂(会社帰り)、近所の近商内の書店(買い物ついで)。付録などおまけしてくれるので急がない時は近商の書店で注文しています(正確には家内にしてもらっています)。注文のついでということもあるのでしょうが、書店員さんが「ウチが注文するものは売れる」と思ってくれているらしく、『ワラジムシが〜』を1冊注文したところ、シリーズがずらりと書棚を占領したそうです。夏休みだしね、自由研究の参考になるかもしれません。




d0252390_16253537.jpg鳥取環境大学の小林教授が書いた「先生シリーズ」は好評のようで、既刊本の紹介によれば、本作を含めて全8作が敢行されている。他の7作も恐らく同じ体裁だろう、夏休みの自由研究発表を思わせる、手作り感のある誌面構成がユニークだ。文体も読みやすさを第一に考えられているようで、強調したい箇所が極太ゴシック体になっているなど、一昔前の「テキスト・サイト」を彷彿させる。見開きで2箇所も3箇所も太字強調されているので、テキスト・サイトが好きだった人にはたまらないかもしれない。

内容は副題にある通り、鳥取環境大学で教えられている「森の人間動物行動学」。ゼミでのエピソードや観察中の発見など(ワラジムシが餌をめぐって取っ組み合いの喧嘩をしたのだ)、いろんなエピソードが詰まっている。

個人的に面白かったのは鳥取環境大学“ツタ”物語。13年前の開学と同時に成長を始めたツタは、いつしか校舎の壁面を覆うまで成長する。ところが「ゲジ(トビイロトラガの幼虫)」が異常発生、ものすごい勢いでツタの葉を食べ始めたのだ。

そこへやってきたのが「捕食者」であるツバメ類やイソヒヨドリ。適度に「ゲジ」が駆逐され、ツタの葉は全体の50%ほどの損失で済んだのだった。

このエピソードで思い出されたのは『捕食者なき世界』。ツバメ類やイソヒヨドリがいなければ、「ゲジ」によってツタの葉は殲滅され、食べるもののなくなった「ゲジ」もいなくなったかもしれない。

などと、環境問題を考える足がかりとなる一冊。



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by non-grata | 2014-07-15 16:54 | 読書

(B33)何個豆があるんや|『豆の上で眠る』感想

最近は週末の早朝短距離ツーリングが楽しみで、考えてみれば誰にも邪魔されず孤独になれる(ほぼ)唯一の時間で、ストレス解消になります。DUKE 125も乗りやすいし、言うことはありません。

r12〜R166〜R24〜R309の定番コース、帰りのR309で教科書に載りそうなバイク事故に遭いかけました。右車線を走行中、目の前の車が急に右折レーンへ移動、それを見た対向車線の右折レーンの車が飛び出してきます。(1)対向車線の右折レーンに車がいたことを認識していたのと、(2)恐らくABSがしっかり仕事をしてくれたので、事なきを得ました。

DN-01は無事納車されたものの、日曜日は雨で動けず。うーむ。




d0252390_17445252.jpg「豆の上で眠る」とは、アンデルセン童話『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』に由来する。主人公が子どもの頃、「姉」に読んでもらった話で、本当のお姫様なら幾重にも重ねられた布団の下に置かれたエンドウ豆に違和感を覚えるくらい繊細なものなんですよ、という寓話。それで王子様は本当のお姫様を見つけ出すのだが、そんな神経質なお姫様をパートナーにして、さて、王子様の精神は保つのだろうか。

ところが、本作では読者が背中にエンドウ豆を感じながら読み進めることになる。

主人公の「姉」、万祐子が行方不明になったという話は本当か。主人公の妄想ではないのか。作者の叙述トリックに引っかかっているのではないか。実は主人公はこの世のものではなく、周囲の幻想によってのみ存在しているのではないか。等々。一つ謎が明かされ、エンドウ豆がなくなったかと思えば、また別のエンドウ豆が背中に当たっている! そんな感じで次第に真相に近づいていく。

最後には全ての布団が作者の手によってめくられ、そこにエンドウ豆を見つけることができるが、それでも背中の違和感は拭えないはずだ。家族って何? 当たり前のことに、問いかけがなされる。最後の疑問だけは、自分で考えて応えを出すしかないのである。



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by non-grata | 2014-07-14 17:59 | 読書

(B32)壬申の乱編もありますか?|『まほろばの王たち』感想

先日、書店でちらっと見かけた新書のタイトル、あるいは帯の惹句に、「読書は99%がアウトプット」とありました。恐らく、本は読むだけではなく、読んで何を思ったか、どう感じたのかをアウトプットする作業が大事、ということではないでしょうか。日頃そう感じてはいるものの、なかなか好きな本の話し相手が見つからないのは辛いものです。

今回紹介するのも良書、なのですが、読んでからずいぶん経って書くので細かなことを忘れていてしょんぼりだよ!




d0252390_15462560.jpg大化の改新から5年後の日本が舞台のファンタジー。クーデター後、強力な中央集権制度が敷かれようとして、都で、山で歪みが生じる──都には「鬼」が、山には「神喰い」が現れたのだ。都と山に住む者たちは疑心暗鬼に陥り、互いに相手があやかしを送り込んだのだと疑い始める。

多くのファンタジーで現代社会が風刺されているように、本作からもまた、様々なメッセージを受け取ることができる。

「道は人を繋げ、国を広げる良きものではないのですか?」
「道は人を変え、国を変えます。だが、山は変わらないし、変わることを望んでいない」

「道は確かに人を動かすだろう。物を四方に運ぶだろう。だが人も物も流れ去った山はどうなるのか。奉じる人のいなくなった神はどうなるのか」

「正義は誰か一人で決めて良いものではない。そのために、皇子と鎌足さまがこれから作る国の形と法の秩序が大切になってくる」
「ですが、心に正義の炎のない者が誰かを裁いたりすることはできません。法はその炎を燃やす助けでしかないはずです」

「人の命を弄んで事を成そうというのは、数ある術の中でもっとも醜いものだな」

「よそから持ち込んだ考えで装えば無理が出る。多くの者が傷つき、この騒ぎとは比較にならぬほどの悲劇が起きると何故わからないのだ。強い国、大きな国など、悲しみしか生まない。強さの上に立った民の幸せなど幻に過ぎん」

萌えあり(物部の姫・広足はマジヒロイン)、燃えあり(広足が仕える賀茂役小角はアツい)で、エンターテインメントとして純粋に楽しめる。と同時に「この国のかたち」について、読者に問題提起している。

この物語から15年ほど後に壬申の乱が起こる。その重要人物も登場しており、大海人皇子が吉野の山中から無事、脱出できたのは山の神の加護があったからか、などと邪推してしまう。本作の世界観で壬申の乱も読んでみたい。



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by non-grata | 2014-07-11 16:31 | 読書

(B31)安定の面白時代小説|『城を嚙ませた男』感想

DN-01のために購入したもの一覧:
  純正マフラー……SP忠男のほうが燃費が良くなるらしいですが、うるさいのがネック。
  大型風防……高速道路走行には欠かせない。考えてみたらこれまで四半世紀のバイクライフの大半がネイキッドだったので、気にならないっちゃー気にならないんですが。
  USB電源供給ポート……スマホ充電用に。
  グリップヒーター……初の試み。冬でも乗る気になるように。
  PDA取り付けマウント……最近全く使っていないPSPをナビとして復活させる予定。Bluetoothって使えたっけ。
  キジマ製リアキャリア……タンデムシートにバックレストがついていましたが、キャリアのほうが使い勝手が良さそうと判断。手持ちのGIVIケースが載るなら言うことなしなんですが。ヤフオクにて、新品が定価の3分の1の価格で売られていました。




d0252390_8463599.jpg戦国時代を生きたのは信長や秀吉、家康だけじゃない、傍流の人々にもドラマがあった。『国を蹴った男』もそうだったが、伊東潤の歴史小説は普通の人々、あるいは主流になれなかった人々に焦点を当てており、誰でも人生の中で15分間はスポットライトを浴びるのだということを思い出させてくれる。本作は秀吉の天下統一、その没後に家康が台頭するという大きな時代の動きの中で、歴史を変えることはなかったが、自分の戦いを全うした人々を描いている。

「見えすぎた物見」は、下野の佐野氏の話。上杉と北条に挟まれ、全方位外交で何とか国の存続を図ってきた。全方位外交と言っても、やり方を一つ間違えば「表裏がある」と斬り捨てられる時代。常に最新の情報を手に入れ、正しく分析できなければいけない。物見がどんなに優れていて先を見通しても、そこで得た情報を正しく理解して活用しなければ意味はない。

「鯨のくる城」。『巨鯨の海』でも太地かに伊豆に行く話があったと思うが、こちらはその伊豆の話。そういうことかと思ったら、やっぱりそういう話。「刀は鈍いように見せておかねばならぬ。いざという時にだけ、その切れ味を見せればよい」という、後の江雪の話と同じようなエピソード。鯨魚(いさな)取りの大将が格好いい。

「城を嚙ませた男」。真田昌幸の話。北条と家康に挟まれ、難しい外交の舵取りを迫られるが、奸計をもって窮地を乗り切る。『華、散りゆけど』の印象とはずいぶん違う。「謀を打つ時には、情けは禁物。天下を目指すなら、敵味方すべてを踏み石としても、我を通しなされよ」昌幸の謀略を完全なものとするため、自分の身を差し出した名胡桃城主の言葉が重い。

「江雪左文字」。少年時代の回想は、あの話かと思ったら、やっぱりあれだった。

表示が劇画タッチのイラストと英文で驚かされるが、オーソドックスな歴史小説の中にも新しさを持った──有名な人物なら一人で長編を賄えるが、傍流の人々だけに短編にならざるを得ない。しかしその短編を並べることによって、時代の流れを語るという──本作のイメージに実にマッチしている。



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by non-grata | 2014-07-09 10:57 | 読書

(B30)捕鯨問題を別角度から|『捕食者なき世界』感想

DN-01の購入決定&納車は日曜日に決まりました。ノーマル・マフラーはヤフオクで落札、大型の風防は国内のショップでも扱われていましたが、ちょっと高い。ebayで落札してイタリアからの輸送待ちです。パニアは取り付けたかったけれど、GIVIのアームが合わないと言われたので断念。ネットで調べた限りでは、トップは取り付け簡単だけれどサイドは困難、と書かれていたんですが。しゃーない。

あとはグリップ・ヒーターの装着と、USBのタップを追加しよう。しばらく使っていなかった、PSPのナビを復活させようかとも思っています。




d0252390_10222269.jpg子どもの頃に教えられたのは、食物連鎖の底辺が一番大事で、ここがしっかりしていればその上に乗っかる動物も何とかなる、という話。現実はそんなに簡単な話ではなかった。「栄養」の流れは単純な一本道ではなく、カスケード接続されていたのだ。

非常によくわかる話が本書で語られるラッコのエピソード。アリューシャンの海には「海の熱帯雨林」と呼ばれるケルプが繁茂していて、これが多くの生物に快適な環境を提供している。ケルプの大敵はウニであり、ウニが大増殖するとケルプが冒され、ケルプに依存して生きている生物も失われる。ウニの数を適度に抑制しているのがラッコである。ラッコがウニを食べ、ケルプを守ることによって多くの生物が豊かに生きられているというわけ。

ところが、毛皮目当ての密猟者によってラッコが乱獲された時期があった。どうなるか? ウニが増え、ケルプが枯れ、アリューシャンは貧しい海になってしまった。食物連鎖が単純なピラミッド構造なら、最上位の捕食者がいなくなっても土台は揺るがないはずなのに、ラッコがいなくなった途端に生態系が崩壊してしまうのだ。

1970年代に実地調査が行われ、ラッコがいるアムチトカ島ではケルプの森が守られ、当然豊かな生態系が維持され、密猟者によってラッコが根絶やしにされた島の周辺は、巨大なウニが敷き詰められたようになっていた。

しかし、話はこれで終わらない。1990年代に入って、シャチがラッコを襲い始めることが確認されたのだ。本書によると、ラッコ1匹は4万〜6万カロリー。ラッコだけ食べるとしたら、シャチは一日に4-5匹のラッコが必要になる。調査によると、過去6年間に4万匹のラッコが姿を消したそうだが、この計算なら3.7頭のシャチがいればその説明がつくのである。何てこったい!!

では、何故シャチがラッコを襲うようになったのか? 鯨が数を減らしたのがその原因ではないかと推測されている。人間が鯨を捕る> シャチが鯨を食えないからラッコを襲う> ラッコが減るからウニが増える> ウニが増えるからケルプ潰滅> 生態系破壊、というシーケンスが発生する。「捕食者なき世界」がいかにバランスの悪いことか。

地球において捕食者の頂点に君臨しているのはヒトである。そのヒトが、長い歴史の中で次の捕食者を絶滅させることにより生物の多様性は失われてきた。「栄養カスケード」はバランスが肝心。地球全体がラッコのいないケルプの森になる前に、最強の捕食者の責任として、ヒトは行動を起こさなくてはならないのだろう。そのためのいささかなラディカルな、それでいてロマンティックな提案で、本書は締めくくられている。



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by non-grata | 2014-07-08 11:22 | 読書

今年は何でも五つ星
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