おっさんノングラータ

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アニソンに救われるとかおめでてーな

以前、『鈴宮ハルヒの憂鬱』のOPだかEDの歌詞で泣いたおっさんの話をどこかで読んで、おめでてーなとか思ったものですが、まさか『中二病でも恋がしたい』のOPの歌詞に救われるとか。

「同じ星に生まれた こんなチャンス 他にない」

どこの星に生まれるってんだ、とか、地球も広いぞ、といった無粋なツッコミを寄せ付けない壮大さ! 生きていりゃ何とかなるわな、くらいの大らかさ。思わずにやりとして、つまらない悩みもどこかへ吹き飛ばしてくれます。いやあ、実にいい。歌を聴いて元気出たとか、何十年ぶりだろうか。

「Sparkling Daydream」がiPhoneに入っていて通勤中に聴いていることは内緒だ。



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by non-grata | 2013-01-24 16:05 | アニメ・漫画

決められないのは昔から|『国の死に方』感想

NHKのよる★ドラ『書店員ミチルの身の上話』が面白い。戸田恵梨香のクズッぷりが痛快ですが、ナレーションの「夫」が誰なのかを推理するミステリとしても楽しめます。周囲から見ればクズなんですが、閉塞感しかない毎日を送っていると、ああいう行動に出たくなる気持ちもわかる。

役柄とのカウンター・バランスというわけじゃないでしょうが、戸田恵梨香は『輝く女』にも出演。




d0252390_13333189.jpg未完のファシズム』著者の新刊とあっては買わざるを得まい!

日本史、特に近代史の要点をおさらいしつつ、当時、問題だったことが今また繰り返されていることに恐怖を覚える。「これだけ類似している」と強調しないぶん、怖さが強調されるのだ。

例えばポピュリズムの問題。日本は1925年に普通選挙法が成立し、25歳以上の成人男子であれば、原則として選挙権を得た。進歩的に見えるが、果たしてそうか。それまでは一定額の税金を納める者にだけ選挙権が与えられたので、候補者は、その限られた人から票を買えば良かった。ところが選挙民が一気に増えたため、票を買うことはできない。「選挙民の増大によって大金を撒いても海に捨てるが如しである。となれば、これからの選挙は、はした金よりも口先である」との某代議士の言葉が的を射ている。

選挙民の判断力も問題になる。その場の空気で動かされるので、選挙後に公約が守られないことにただ戸惑うばかり。次の選挙では懲罰的投票行動が行われるが、判断力が高まっているわけではないので同じことが繰り返され、状況はどんどん悪くなっていく。この話、昨今の選挙について言っているわけではない。

昭和初期にはデフレがあった。第一次世界大戦が終わって戦争特需がなくなった。関東大震災に襲われ、復興特需もあったが、それより失われたもののほうが大きかった。朝鮮、台湾から安い植民地米が入るようになり、国産米の価格が下落した。

結局、有効な国内の農業保護政策を打ち出すことはできず、大量の農業人口が都市部に流入、安い労働力として便利に使われることになる。

グローバルな経済は危険だ。しかし日本一国では資源も、食糧も、労働力も賄えない。ならばブロック経済が有効ではないか? この思想は日満経済ブロックとなり、それでも足りないので日満支経済ブロックに、東亜協同体論へと発展し、大東亜共栄圏へとつながる。そうなると他のブロックとの衝突は避けられず、戦争へと発展することになる。

これは戦前の話。今のことを言っているのではない。

映画『ゴジラ』(1954年)にも、当時の日本と今の日本、両方を見ることができる(今度、確認しよう。LDしか持っていないけど)。地震に津波、原発事故の象徴のようなゴジラが東京を襲うが、政府は何ら有効な対策を打てない。民間企業(奇しくも東電)とボランティア(芹沢博士)が身体を張る。

そこで本書では田中智学の息子、里見岸雄が生涯のテーマに掲げて研究した「国体」について触れる。国家は理念的には二つの社会によって構成される。一つは利益社会。平時なら利益社会は機能するが、非常時にはまともに働かない。利益社会を存続させるため、誰かが犠牲になる犠牲社会が必要となるのだ。

しかし考えなく戦争放棄を選んだ日本は、国民に犠牲になれと命じることができなくなった。国体の半分が空白のままなのである。『ゴジラ』が襲った日本は、そんな国だった。そしてゴジラが象徴する災厄に襲われた今の日本もまた、同じなのである。

芹沢博士がどこかにいればいいけれど、いなければ国が死んでしまうかもね、という話。さもなくば犠牲社会を持つことを許容しなければならないのだろう。



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by non-grata | 2013-01-23 14:40 | 読書

『国富論』の良き入門書|『新・国富論』感想

d0252390_14274326.jpg同じ『新・国富論』の題で大前研一も一冊書いているけど、そちらは未読。

『国富論』を読んだことがないどころか、経済学を学んだことさえない自分にとって、非常に勉強になる一冊だった。「グローバル経済」の今を「長屋」住まいに喩えて解説してくれた後、『国富論』の概要を説明しつつ、『国富論』を通じてグローバル経済を考える。しかし第二次グローバル化時代に書かれた『国富論』では、第三次グローバル化時代の今を解説するには不十分なので、著者と一緒に『新・国富論』を考えるという構成である。その結論は『「通貨」はこれからどうなるのか』へと通ずる。

注意したいのは、グローバル市場と国際市場は異なるということ。国際経済は、それこそ国の数だけ市場が存在するが、グローバル市場は一つだけである。これまでは日本製品がアメリカやヨーロッパの市場を席巻するという言い方ができたが、ヒト、モノ、カネが国境を越えて自由に動き回れる第三次グローバル化時代では、そんな考え方は通用しない。

例えば「日本製品」と言っても、製造工程全てが日本とは限らない。部品の一部は国産、一部は韓国や台湾製で、製造工程は中国で行われ、といった具合に、『国富論』では市場が進化させると言われた「分業」が、ワールド・ワイドに、そしてシームレスに行われる。単純に、国際市場の拡大版がグローバル市場だと考えがちだが、全く異なる原理で動くことをわかっていなければならない。

本書で紹介される「羊羹チャート」は、そのことをよくわからせてくれる。例として引き合いに出されるのが液晶テレビの製造工程で、4段階の製造工程ごと、製造メーカーの国籍と生産立地の割合を立体的なグラフで表している。国際市場が二次元で表現できるならグローバル市場を表現するには三次元が必要になる、といったところか。

となれば、「円安で輸出企業の業績が回復」なんて単純な原理が働くはずがない。その逆、「円高で輸出企業の業績が悪化」との主張は、少なくとも「グローバル」を看板に掲げる企業であれば、経営陣の無能さをごまかしているに過ぎない。

で、『新・国富論』とは?

『国富論』では、付加価値が国内市場に向いた時に「見えざる手」が働いて万事うまくいく、と説かれていた。二国二財モデルが働く第二次グローバル化時代ならそれで良かったが、「羊羹チャート」のグローバル経済時代はそういうわけにはいかない。国際市場の枠がないので「見えざる手」が働かないからだ。

では、どうすれば? その結論はいささかロマンチックなので肩透かしを食らうかもしれないが、本書を最初から最後まで読めば納得できるはずだ。



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by non-grata | 2013-01-17 14:25 | 読書

どちらも波乱含み|『宇宙戦艦ヤマト2199 第四章』感想

すっかり恒例となった、公開初日鑑賞&1万円のお布施(BDとパンフレットを劇場で購入)。テレビ放映も決まったそうで、めでたしめでたし……って、日5ですか! てっきり深夜枠と思ってた。




d0252390_1324529.jpg『宇宙戦艦ヤマト』がエポックだったのは、それまでの勧善懲悪でない、敵には敵の都合があるという設定だった。戦争が外交の延長であるということは、クラウゼヴィッツより先にアニメで学んだ。もちろん、人間同士の戦争を扱った『機動戦士ガンダム』のほうが、よりリアルにそのことが感じられたが、対異星人である『ヤマト』のほうが、戦争の在り方がはっきり描かれていたように思う。

以下、ネタバレ。

第四章では第一次外惑星戦争とでも呼ぶべきガミラスとの戦い、その発端の真相が明らかにされる。通説とは異なり、先に手を出したのは地球側だった。もっとも、平和裡に事を進めようとしたところで、メリダ・ディッツが言った通り、降伏すれば寛大な措置がとられ(やったね! ガミラス二級市民だ)、さもなくば破滅するまで徹底抗戦を強いられるので結果は同じだったかもしれない。地球にしてみればガミラスの属国になる選択肢はなく、独立を選ばざるを得ない──ならば宣戦布告されたのと同じではないか。まさに事実は一つ、真実は立場の数だけあるのだ。

箝口令が出されているはずだったこの事実はヤマト艦内にわずかずつ浸透し始め(機関室は会社の給湯室かっての)、クルーの結束を揺るがすことになる。もともと「イズモ計画」寄りだった新見(意外に少女趣味)はこの機に乗じて揺さぶりをかける……らしい。もともと真田が謀反を起こす設定だったらしいが、その役目を薫ちゃんが引き受けるのだろうか。

さて、一枚岩でないのはヤマト側だけではないことが、第四章で描かれる。ガミラスの将星たちの間でも、モチーフにしているドイツ軍同様に軋轢が生じ始めている。国民人気の高いロンメル=ドメルは、テレビ・シリーズではヤマトの好敵手に過ぎなかったが、『2199』ではデスラー政権への影響力も持ちそうだ。あるいはデスラー暗殺計画が行われ、その嫌疑がかけられるかもしれない。いずれにしてもガミラスの政治体制が盤石でないことが、物語のキー・ストーンになるに違いない。

正義の反対は別の正義であることを、最初のテレビ・シリーズは教えてくれた。『ヤマト』を、太平洋戦争に負けなかった日本の仮想戦記と揶揄する声もある目が、勝利した上でその結論に達した意味は大きい。冷戦構造健在だった当時、西は正義、東は悪という図式が一般的だったのだ。パックス・アメリカーナが過去のものとなり、日本が凋落し、軍事的にも経済的にも中国が台頭してきた21世紀、正義を、戦争を、『2199』がどう描いてくれるのか、非常に楽しみである。



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by non-grata | 2013-01-16 13:24 | 映画

残念な勘違い|『ビブリア古書堂の事件手帖』感想

原作ではなくドラマのほう。

さして興味はなかったのだが、家内が原作好きな自分にどうしても見せたいらしく(どんな羞恥プレイだ?)、やむを得ず視聴。

(1)清楚で知的、人見知りが激しいのだけれど、本のことを話し始めると止まらなくなる黒髪美人で巨乳(しかも原作では足を怪我して松葉杖をついている)、本好きな男子、または本好きな女子を好きな男子のストライク・ゾーンに100マイルの直球的な栞子さん、三次元で言えばミュウ・ミュウ、別の小説または二次元で言えば文学少女だってことがわかっていないキャスティングと脚本の改悪。本好きな人が嫌いな人がハナシつくってんじゃないの? 剛力彩芽はむしろ被害者。

(2)本棚からばさばさと本が落ちてくるオープニングに嫌悪感。落ちずに空中浮遊する本が今回のテーマだけれど、落ちてしまった本の立場はどうなる? 本が嫌いな人がやってんの?

(3)素晴らしく耳障りの悪いBGM。作品のテーマがテーマだし、「読書のBGMに最適なサントラ集」に収録できそうな内容にすべきじゃないか。読書したことない人がつくってんの?

と、多数の人が感じているのと同じような意見。もしかすると、本好きな人寄りにすると、本好きでない人に興味を持ってもらえないからそういうつくりになっているかもしれないが。

今期のドラマもやっぱりNHKが無難に面白い。



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by non-grata | 2013-01-15 15:07 | チラ裏

憶測が楽しい佳作|『ルーバー』感想(ネタバレ)

d0252390_11183517.jpg以下、映画を見終わってから悶々と考えていたことを列挙します。超ネタばれ&憶測です。パンフレットやらどこかの解説を見たわけでなく、かつ一度しか観ていないのが勘違いや見過ごしに起因する誤りがあるかもしれません。




『ルーバー』を観ていて、どうにも気になるところがあった。

(1)死体処理が面倒だから、過去に送って処刑するというのは、割に合わなさすぎないか?
そのためにタイム・マシンを用いるほうがコスト高だし、30年後のジョー(ブルース・ウィリス、以下ハゲ)の妻をあっさり殺害している。となれば、その死体をタイム・マシンで30年前に運んだと思われるが、だったら未来で殺して死体だけ過去に送ったほうがリスク小さくね?

じゃあ、何のために未来人を過去に送り込むのか? それが定められた歴史だからとしたら?

ここからは仮定になるが、シドがレイン・メーカーになるためには2044年に悲惨な体験をしなければならない。例えば目の前で母親が殺されるような。それは未来人の手によって引き起こされたわけだが、タイム・マシンを用いて過去を改変することで、未来に様々な変化が発生している(バタフライ・エフェクト)。何が自分の力を失わせるのかわからない、そこでレイン・メーカーは歴史を「正しく」進めるためにエイブを過去に送り込み、「ルーパー」をでっち上げさせたのだ。セルフ『ブラジルから来た少年』である。

レイン・メーカーは未来人が自分の母親を殺害することは知っている。それは、ループを閉じられなかった者の犯行であるが、誰であるかまではわからない。そこで自分の素性(生年月日+病院の番号)を伝えて過去に戻し、自分を襲わせるのだ。そのせいで自分が死ぬリスクはないのか? 最強のテレキネシスがあるので、その点については安心していたのだろう。実際、ハゲもすんなりとは殺せなかったのだから。それに過去の身柄を押さえておけば、未来人はどうとでも処理できる。

(2)ハゲがエイブを始末するシーンがなかったのは何故か?
劇中で唯一、未来人同士が邂逅する場面であり、何故カットされたのかは不明だが、観客に憶測を挟む余地を与えてくれたことに感謝したい。エイブが全てを吐露し、ルーパーの役目がレインメーカーを生み出すことにあると知らされるのだ、きっと。事切れるエイプ、躊躇うハゲ。そして決戦場へ臨む。

2044年のジョー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)にとってはこれが2回目のループであり、『シュタインズ・ゲート』風に言えば、α世界線からβ世界線へと移行する鍵を握る人物である。α世界線、即ちレイン・メーカーが生まれる未来が見えたのはきっとそのためだろう。ハゲも、母親を殺しただけではレイン・メーカーが生まれてくることを知っている。シドを殺さなければ──ここでしくじっても、タイム・マシンが完成したらもう一度ループして追いかける、くらいのことを思ったかもしれない。

しかし、ジョーの決断が未来をβ世界線へと移行させる。レイン・メーカーは誕生せず、タイム・マシンも悪用されることもない未来だ。ハゲのおかげでルーパーたちは全滅しているのでタイム・パラドックスも起こらないことになる。かくして『ブラジルから来た少年』作戦は失敗に終わったのだった。

ところが、β世界線ではサラがジョーの子どもを身ごもったことで、新たな悲劇が待っていたのだった……と、いろいろ妄想して楽しめる。



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by non-grata | 2013-01-15 13:24 | 映画

武術とは生命力を磨くこと?|『荒天の武学』感想

d0252390_12315531.jpg武道にはまるで興味ないのだが、店頭でぱらっとめくった頁に、日頃思っていることが書かれていたので購入を決めた。これぞ書店巡りの醍醐味と、昨日と同じことを書く。

それは戦後日本が抱える問題の根幹について言及したもので、少し長くなるけれど以下、引用。

これは前の戦争の負け方がいけなかったんじゃないかとぼくは思っています。本来であれば、敗戦国民は歯がみしながら、「次は負けない」とつぶやくものです。(中略)「絶対に負けないためのベストの選択は、もう二度と戦争をしないことだ」という結論に至ることができる。でも、日本軍はそうしたわけじゃない。「二度と戦争はしません」とまず宣言することによって、「なぜ負けたのか」についての精査義務を放棄した。「一億総懺悔」で、失敗をすべて不問に付した。

さらに言えば、東京裁判で裁かれた「戦犯」を生け贄にすることで、国民は責任から逃れたのである。戦争放棄は本来、重大な選択であるにもかかわらず、その場凌ぎで選んだものだからいかにも軽い。それと同じ軽佻浮薄さを、内田樹、光岡英稔の二人は原発の再稼働にも見るのである。

武道家の対談で何故、歴史や時事問題が語られるのか。対談では世界中の武道に関すること、光岡氏のハワイでの武勇伝など、フィジカルな話題も多いが、二人が強調するのは武道はフレームワークではないということ。普段の稽古や試合のように決まった「型」を学ぶという側面があるが、現実には何が起こるかわからない。いきなり暴漢が現れてナイフを突き出してくるかもしれないし、拳銃を持っているかもしれない。そのように、シミュレートできない状況においても最適解を出せるスキルを磨くことが武道なのである。

9.11の同時多発テロや3.11の震災、原発事故は想定不可能な災厄と言える。が、我が身に降りかかる危機であることに違いはない。それらを「想定外」とせず、危機回避できるようにするためには、政治や社会、経済問題について無関心でいられないのだ。これが「荒天の武学」の考え方。武士が今の世に生きていれば、身体を動かすことだけではなく、政治や経済を深く学んでいるはずだ(そう言えばNHK大河ドラマ『八重の桜』第1回でも、八重の兄が蘭学を必死で学ぶエピソードが描かれていた)。

二人の博学に驚かされつつ、注釈で世界中のマーシャル・アーツを学びつつ、いかに自分なりの「荒天の武学」を身につけようかと考えさせられる。



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by non-grata | 2013-01-10 13:11 | 読書

主人公とともにボクシングを学ぶ|『空の拳』感想

d0252390_1705140.jpg日経新聞のレビューを読んで興味が湧いたけれど、そりゃ連載していた新聞だからべた褒めするよなあ、とも思って何となく手を出さずにいたけれど、博多駅の地下にある書店で遭遇、最初の数頁を立ち読みするとビビッときて購入を決意した。amazonも便利だけど、こういう出会いがあるので書店通いを大事にしたい。

友だちなし、彼女なし、文芸部を志望したのにボクシング専門誌『ザ・拳』に配属された空也。いずれ異動があると思いつつも、生来の生真面目さを発揮し、ボクシング雑誌に関わるならボクシングのことを理解しないとと、取材で訪れたジムに入門する。そこで年齢的に近いプロボクサーと交歓することで、ボクシング以外のことも学び、成長していく。

何より試合の描写が秀逸だ。主人公目線で語られるため、最初は何が起こっているのかわからなかった展開が、取材経験を積み、また自らも身体を動かすことで理解を深めていくことで、具体的なものへと変わっていく。最後に描かれる試合では、闘っているボクサーの心情までが克明になるのだ。このシーン、まるで昭和の街頭テレビの時代にタイム・スリップするよう。

21世紀を迎え、日本のみならず世界中が大きく変化した時代。しかしジムの中は、リングの上は、そんなことはお構いなし、ストイックな空気が流れ続ける。果たしてそれは、ボクシングだけが持つ不変な何か、例えば剥きだしの闘争本能を遠慮なくぶつけ合えるといった特性のためだろうか?

否、である。だがその答えを導き出すために、主人公にはもう一段階、成長してもらわなければならない。と同時に読む者も、自分が立つべきリングはどこにあるのか、拳は生きているか、そして自分が立っているその場所で面白いと笑っていられるのか、自問することになる。

メジャーすぎるので角田光代の小説はこれまで何となく敬遠してきたけど、もったいないことした!




昨年末、博多からの帰りの新幹線で読み始めたわけですが、さすがに新幹線を乗り過ごすようなことはなく。



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by non-grata | 2013-01-09 17:59 | ノリスゴ本

One Second Everyday App

Kickstarterで投資したアプリが米東部時間の今週木曜日にAppストアでダウンロード可能になる(備忘録)。木曜日は丸一日ダウンロード・フリー! と言っても、1米ドルのアプリなんですが。

BBCで取り上げられるとか、すごいな。



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by non-grata | 2013-01-08 13:59 | チラ裏

年末に一気見したアニメ(1)『シュタインズ・ゲート』

質素倹約に生きたい身としては、会社の新年会とか辛いだけです。一次会だけならまだしも、二次会の韓国バーとか誰得。「バクダン」の一気飲みが恒常的に行われているけど、まずい上に身体にも良くないのでそのうち何とかしないと。




d0252390_9255711.jpg急に思い立って、『シュタインズ・ゲート』を一気見。2クールのアニメだったので丸一日を費やしましたが連休だからこそできる贅沢! 本放送の時は、オカリンの誇大妄想的な立ち居振る舞いや、ダルのネット・スラングについていくのが大変で、いつ「切ろうか」とネガティブな感想しかありませんでしたが、第1クール中盤からの急展開にすっかりやられました。「最初はかったるいけど我慢して見る価値がある」との先人(ネット上の名無しさん)の教えは正しかったんや!

2回目の視聴だったので冷静に見ることができ、と言っても泣けるところはしっかり泣きましたが、30分という時間枠をうまく使った「引き」にあらためて感心。1週間というスパンであれこれ考える行為が、タイム・リープを繰り返す主人公の思考や心情にシンクロした(と勝手に思った)りすると、すっかり本作の虜になってしまいます。

原作はゲーム。視聴後にPSPソフトを購入(しましたが途中で挫折)。繰り返しゲームを行うプレイヤーはタイム・リープ能力を持つというパラドックスをうまく利用した作品であり、だからこそゲームで生きる設定だなあと思っていましたが、テレビアニメとしても完成度の高いドラマに仕上がっております。

で、清々しい最終回を迎えた後に「劇場版制作決定!!」のテロップが。すっかり忘れていましたが、今年の春に公開予定なんですね。本編トゥルー・エンド後のエピソードということで、今回の一気見で図らずも予習ができました。



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by non-grata | 2013-01-08 10:29 | アニメ・漫画

今年は何でも五つ星
by non-grata
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