おっさんノングラータ

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突然やってこない死|『渚にて』感想

『世界から猫が消えたなら』を読み始めたところですが、「もうすぐ死ぬことがわかっている人がどう行動するか」という点で、『渚にて』と同じですね。でもって、書影を探すのに検索したらDVDになっていることを知り、迷わずAmazonで注文。金曜日にでも見るか。




d0252390_12183785.jpg面白そうな新刊がどんどん出ているので古典を読むのに動機が必要になるわけで、そういう意味では「新訳」は良い戦術だ。あとは書店のジャンル・フェア。ジュンク堂書店のSFフェアで、名作と知りつつ読んでいなかった本書とこれ、どちらを買って帰ろうかと悩んだ揚げ句、両方買ってしまった。

中ソ戦争が引き金となった世界規模で核戦争が勃発、北半球が死に絶えた世界。南半球は辛うじて生き延びたものの、放射性物質は次第に南へ降下していき、人類の生存圏が次第に狭まっていく。難を逃れた米原潜〈スコーピオン〉はオーストラリア海軍の指揮下に入り、アメリカから届く謎のモールス信号を調査するため、危険な航海に挑む。

放射性物質が確実に迫ってきて、逃げ場がない世界。人々は「世紀末だ、ヒャッハー」と暴徒と化すだろうか? ネヴィル・シュートが描く核戦争後の世界は違う。誰もが日常を淡々と、誠実に生きようと努力する。

その姿勢をして、〈スコーピオン〉艦長と良い仲になるモイラは「みんなおかしくなってしまった」と揶揄する。明日をも知れぬ我が身なら、自暴自棄になって「ヒャッハー」するのが人間らしいというわけだ。そうかもしれないが、「自分だけは大丈夫」「明日になれば悪夢から目が覚める」と身勝手な想像をするのも人間だ。そんな都合のいい話はないと知りつつも、わずかな希望にすがって日常を積み重ねていく、先のことを考える。飲んだくれだったモイラもまた、将来の就職のために速記やタイピング、簿記を学ぶようになる。

普通、死は突然やってくるから、人々はその準備ができていなくて慌てふためく。しかしいつ訪れるかわかっていれば、そのための準備はできる。逆に言えば、いつ死んでもいいように準備をしておけば、憂うことは何もない──家族を思い、他人を慮る艦長やモイラたちのように。

だから、きっと、大多数の人間は捨てたものではない。その証拠に、少なくとも今のところは、人類を滅ぼしてしまうような核戦争は起きていないではないか。

他のネヴィル・シュートの作品としては、『パイド・パイパー』を先に読んでいた。1940年、フランスがドイツに占領される中、イギリスの老紳士が何とかして祖国に戻ろうという話で、これも人間は捨てたものではないと思わせてくれる作品。航空エンジニアだそうだが、人間観察眼が鋭い。



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by non-grata | 2012-12-06 13:12 | 読書

そんな奴おらんかったんや|『桐島、部活やめるってよ』感想

行きが『ted』で帰りがこちら。上映時間は103分なのでぎりぎり。台湾からの帰りのほうが飛行時間が短いので、サービス開始と同時に見始めないといけません。

春頃に台湾に行った時はちょうど良い長さの映画が他になくて『ダーケストアワー 消滅』に挑戦。行きは途中で寝て、帰りで雪辱したものの、寝ていたほうが良かったかな、という内容でした。




d0252390_13483431.jpg今の高校生活が映画で描かれているようなものであれば、30年近く前、自分が経験した高校生活と大して変わっていないのに驚かされた。となると、やはり高校生活というのは日本社会の縮図であり、最も日本人らしさが発露される場なのだろうか。

最初に、体育部、文化部、帰宅部にカテゴライズされ、社会のヒエラルキーが形成される。体育部が上位で文化部は下位、帰宅部はその両方に属するアウトローだ。体育部、文化部の中でも上下ができる。それに友人の多寡、勉強の出来不出来や恋人の有無が影響する。

とは言え同じ高校生、この程度の無意識の上下関係は、ちょっとしたアクシデントでひっくり返る。そこで体制を維持したいと誰もが思い──意外かもしれないが、下位にいる者が上位にいきたいとは必ずしも思っていない。自らヒエラルキーに属していないと主張するかもしれないが、下位は下位で今のポジションに留まっても不都合はないのだ。むしろ上位に祭り上げられれば面倒が増える──組織全体を枠組みを変えることなく引っ張ってくれる存在を求める。

それが桐島である。バレー部を引っ張り、彼女持ちで多数の友人を持つ桐島が、突然、部活をやめると言い出した。しかも、誰にも告げずに。

大袈裟だが、玉音放送が流れて日本国民は大いに狼狽えたように、精神的支柱が突然いなくなった高校生たちもまた、昨日までの日常が奪われ、混乱する。国民の数だけ終戦の日のエピソードがあったように、「国体」ならぬ「校体」が突然の発表をした日にも、生徒の数だけドラマがあった。誰もが終戦と無関係でいられなかったように、桐島と直接関わりのなかった下位グループに属していた前田(神木隆之介)にも、余波が襲いかかるのである。

社会の再構築にはガラガラポンが手っ取り早い。図らずも、屋上での前田の提案がその合図となる。

以下、ネタバレになるが、桐島は最後まで姿を現さない。その桐島の幻影を追って右往左往する生徒たちは、本能だけで徘徊しているゾンビそのもの。実は上位にいる者がゾンビで、劇中劇でゾンビの格好をする下位の生徒に襲われるのが何とも皮肉だ。喧嘩(?)の後は夕陽に向かって一緒に駆け出して全てをリセットできるのが学生の特権──のはずだが、その騒動で新たな秩序が生まれるかと思ったら、前田と菊池(東出昌大)の邂逅が、新たな「桐島」の誕生を予感させる──が。そこでもう一回、変調があって、物語は美しく終わる。

「俺たちは戦わなければならない、この世界で生きるしかないんだから」だっけ。その通りなんだよな、前田。



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by non-grata | 2012-12-05 16:00 | 映画

まさに淫乱テディ・ベア|『Ted』感想※2013年日本公開予定

先週は久々に台湾へ出張。機内映画を観るのが密やかな楽しみですが、だいたい100分で終わる映画でなければ、クライマックスで画面がブラック・アウトするなど、悲しいことになります。「続きは帰路で」なんて事態は避けたいですよね。




d0252390_9195660.jpg今から27年前のクリスマス、友だちのいない8歳のジョン(おっさんになってからはマーク・ウォルバーグ)はプレゼントにテディ・ベアをもらう。テッドと名付けられたそのぬいぐるみは、「I love you」だけを再生できたが、ジョンの祈りが奇跡を呼んでテッドに生命が吹き込まれる。生きたぬいぐるみとなったのだ(奇跡に理由なんていらない!)。

クリスマスの奇跡に国中が湧き、テッドは一躍セレブに──そしてもてはやされた子役が長ずるにつれてドラッグやセックスに溺れて身を持ち崩し、人々の記憶から忘れ去られるように、テッドも華やかな舞台からフェード・アウトしていった。

そして2012年。ジョンは35歳になり、テッドも、見た目はぬいぐるみのままだけれど中身はいい加減なおっさんになり果てていた。酒好き、女好き、ドラッグ好き、映画好き。そして何よりジョンが馬鹿騒ぎをするのが好き……なのだが、当のジョンは人生の岐路に立たされていた。勤務先では昇進のチャンスだったし、恋人ロリ(ミラ・キュニス)とはつき合って4年になり、そろそろ結婚を考えている。テッドと一緒にまだまだ面白おかしく生きるべきか、誰もがするように「テディ断ち」をして人生に真剣に取り組むべきか。

機内映画用に編集されたバージョンなので、細部が違うかもしれないことをお断りしておいて(機内食を食べながら見る人も多いはずだが、ジョンがいない間にテッドが売春婦を呼んでひどい罰ゲームをさせるエピソードはカットされていませんでした。念のため)。

既視感のあるストーリーで、すこぶるできの悪い友人、あるいはハンディを負った親族を「生きたぬいぐるみ」に置き換えただけ、とも言える。見た目可愛いぬいぐるみが汚い言葉を使ったり、ひどいことをするギャップで笑わせるのは、卑怯と言えば卑怯だけれど、やったもの勝ち。二人が好きな映画(本作を観る前に最低限『フラッシュ・ゴードン』は見ておきたい)のネタは、楽屋落ちにも思えるけれど面白い。

製作サイドの悪のりと言うか、「面白いこと考えたからやってみちゃった」感が、劇中のテッドそのまま。でもその感覚は、歳を取るごとに薄れてしまい、さらには「面倒だから」「現実的でないから」「大人はそういうことやらないし」と自分で勝手に理由をつけてやらなくなる。それはそれで大人の態度とも言えるし、常にテッドのように脊髄反射で行動していたら周囲に迷惑がかかる。けれど、面白そうなことを目の前にして、それに挑戦しない人生なんて生きる価値があるだろうか?

テディ断ちをするかしないかの二元論でなく、心の中にしまっていた淫乱テディ・ベア(これほどぴったりくる呼び名はないはずだ)を時々取り出して、人生を楽しみたいものだ。



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by non-grata | 2012-12-04 10:12 | 映画

昭和がそんなにすごいのか|『プロ野球「衝撃の昭和史」』(二宮清純)感想

d0252390_8265835.jpg広島カープのファンとしては平成になってあまり良い思い出がなく、ついつい昭和のノスタルジーに惹かれてしまう。という人でなくても、「昭和の野球は面白かった」と嘆くおっさんは多い。特にこの2シーズン、統一球が採用されてホームランが出なくなってからはそんな風潮が強いように思う。

もっとも、時代とともに野球の質も変化しているわけで、当時のレジェンド・クラスと今のレジェンド・クラスはいい勝負になると思うが、一般的なレベルで言えば今のほうが上だろう。本書の野村克也のエピソードを読めばわかるように、クイック・モーションが確立した後で福本豊の盗塁記録を塗り替えることは絶対に不可能なのだ。

それはさておき、「衝撃の昭和史」である。古くは沢村栄治の話から、清原和博のバット投げ事件まで12のエピソードが収録されているが、広島カープのファンとしては、「江夏の21球」の真相に迫る第1章とその前哨戦となる第4章、それから江川渾身のストレートについて語られた第5章が興味深い。

1979年の日本シリーズ、1点リードながら無視満塁の絶体絶命から広島のクローザー・江夏豊が近鉄を零封した。スクイズを読んでウエストしたのが大きかったが、実はその前に代打・佐々木恭介が放った三塁線の際どい当たりが「ファウル」と判断されていた。正確にはサードを守っていた三村敏之のグラブに当たっていればフェア、当たっていなければファウルという際どい状況で、どうにも真相は前者だったらしい。

しかし近鉄ベンチは抗議をしなかった。何故か。その理由が前年の日本シリーズ、大杉勝男の誤審ホームランにあった。1時間19分に及ぶ阪急・上田利治監督の猛抗議は流れを悪くして、結局、ヤクルトが日本一に輝いた。そのことがあって、近鉄・西本幸雄監督と三塁コーチの仰木彬は抗議しなかったのではないか、というのだ。もし抗議していれば、判定は覆らないとしても、流れが別の方向に変わっていたかもしれない。

江川卓が引退を決めたのは、広島市民球場で小早川毅彦にストレートをライト・スタンドに運ばれたことだったそうだが(テレビ中継を見ていた記憶があるが、それはもう素晴らしい弾道だった)、本書を読むと直球へのこだわりがよくわかった。



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by non-grata | 2012-12-03 12:39 | 読書

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