おっさんノングラータ

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屍者の帝国

d0252390_16374581.jpg逝去した作家の原稿を引き継いで別の作家が完成させた、というのはよくある話で、レイモンド・チャンドラー&ロバート・B・パーカーの『プードル・スプリングス物語』で痛い目に遭ったはずなのに、伊藤計劃&円城塔の『屍者の帝国』に手を出してしまった。伊藤計劃が遺したのはプロローグだけで、後は円城塔の筆になる。

伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』にストパンネタがwwwwww
Amazonのレビューをはじめ、webでは概ね好意的な評価が多いが、残念ながら自分には合わなかった。



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by non-grata | 2012-09-26 17:33 | 読書

劇場版 TIGER & BUNNY -The Beginning-

d0252390_138175.jpgもともとマニアしか見ないであろうと思われた深夜アニメのはずが、マーケティングが良かったのか、それとも作品にそれだけの力があったのか、一般層まで巻き込んでのスマッシュ・ヒット。ついには映画化、来年にはその続編も上映されるという人気ぶりの『TIGER & BUNNY』。公開初日、郊外のシネコンでのレイトショーだったが、そこそこ客が入っていたし、わかりやすい客層というわけでもなかったので、なるほどこの作品はマニアだけのものではないのだなあと確信した。

本作はテレビ・シリーズ前半の総集編にオリジナル・エピソードを加えたもの。盛りを過ぎてもなお、ヒーローにこだわるベテラン(虎鉄)と、新進気鋭の若手(バーナビー)とのバディ・ムービーと捉えることもできる。テレビ・シリーズでは後半にならないとわからなかった虎鉄の現役への執着が、劇場版では早めに説明されているのは嬉しい配慮。バーナビーが「ツン」から「デレ」へと変化するミッシング・リンクも本作で補われた感がある。

結局『アベンジャーズ』を観ることはできなかったが、わかりやすい敵にヒーローが力を合わせて戦うのがアメコミ流なら、悪党もヒーローも同じ異能力者「ネクスト」で、毒をもって毒を制しようという偉いさん、それをエンターテイメントとして昇華して一儲けしようと考える企業、普通の人同様に悩みを抱えるヒーローたちが入り乱れて、時にシリアスに見せ、時に小ネタで笑わせようというのが日本流、いやタイバニ流。映画のスケールでは負けていたかもしれないが、琴線に触れるのはこちらのような気がする。

●週替わりでエンドロール後のお楽しみを用意するとは、何というぐう畜。
●タイバニのテーマ・ソングはやっぱりUNISON SQUARE GARDENだよね。相変わらず歌詞は聴き取れないし、聴き取れたとしても意味わからないけれど。



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by non-grata | 2012-09-25 13:32 | 映画

鍵泥棒のメソッド

d0252390_12522760.jpg「メソッド演技法」とは、「役柄の内面に注目し、感情を追体験することなどによって、より自然でリアリステックな演技・表現を行うこと」なのだそうだ。ウィキペディアにそう書いてあった。

タイトルにある「鍵泥棒」は堺雅人。35歳で定職なし、彼女なし。線路近くの風呂なしアパートで暮らしている。売れない俳優。銭湯にいた殺し屋・香川照之は石鹸で足を滑らせて頭を痛打。記憶を失ってしまう。香川のロッカーの鍵を自分のものと交換し、記憶がなくなったのをいいことに、堺は香川と入れ替わろうとする。香川は売れない俳優に、堺は殺し屋に──もっとも、その正体に気づくのはずっと後で、「羽振りのいいおっさん」程度の認識しかない。

意識して入れ替わった、しかも(売れない)俳優の堺だが、メソッド演技法については勉強不足だったようで、やがて香川の代役を務めなければならない事態に追い込まれてもうまく演じられない。「自然でリアリスティックな演技・表現」を行えないのだ。一方、記憶のない香川は自分が置かれた状況を分析し、その中でベストを尽くそうとする。演技の勉強もする。その差が面白い。

けれども、二人ともあることがきっかけで事態を大きく変化させる行動を取る。その時期は別々だが、きっかけは同じ。「感情を追体験」したのは間違いない。メソッド演技法だ!

もしかすると、大多数の人は広末涼子演じる編集長のように「こうあらねばならない」自分を演じているのかもしれない。それが何かのきっかけで、本当の自分の「内面」に気づいて行動するようになる。それは「こうあらねばならない」自分の亜流かもしれないし、本当の自分かもしれない。それに気づかせてくれる「人生の鍵」が、どこかに落ちてないものだろうか。



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by non-grata | 2012-09-24 13:25 | 映画

寸又峡ツーリング

気に入った宿は定期的に訪れることにしていて、その一つが奥井川にある大西屋旅館。高速道路で浜松まで行って、そこから東に向かって大井川沿いに北上。寸又峡で遊んでから宿に向かうのが定番コースだったが、新東名ができたので、今年は島田金谷から北上することに。
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大井川鉄道でSLが走っていて、撮影ポイントには撮り鉄がたくさん。
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寸又峡。渇水の影響で水位が下がり気味だった。一回りに要する時間は約90分。結構な運動量になる。
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大西谷旅館のたたずまい。女将さんがソムリエで、イタリア料理のシェフでもいらっしゃる。今回はタイミング良く天然舞茸をいただくことができた。料理に合ったワインも美味。
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ハーフボトル&グラスワインでいい気分に。

ここから北上して長野に行ければ良いのだが、南アルプスは伊達じゃない。やむなくR473を浜松方面に抜けて、そこからR153を北上して下栗の里を目指したのだが、今回は伴走の軽自動車がトラブルに見舞われて時間切れ。次の目的地である米原へ移動した。

台風の接近が気になっていたが、幸いにも雨に降られたのは行きと帰りの高速道路だけ。しかし満足な走りができず、大いに不満の残る旅となった。
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by non-grata | 2012-09-21 16:23 | ツーリング

残穢

d0252390_12395635.jpgもともと霊感は弱いほうなので、名古屋や東京、大阪で一人暮らしをしている時も、あるいは出張や旅行でホテルや旅館、民宿に泊まった時も、金縛りにあったり、いるはずのないものを見たり、聞こえるはずのない音が聞こえたりした経験はなかった。しかし小学生の頃、『はだしのゲン』の原作を読んだか、その映画を観た夜、自分が住んでいる家が建っている土地で、かつて誰かが原爆で殺されたことを認知して、とてつもない恐怖を感じたことがある。それこそ、夜中トイレに行けないくらい。

その恐怖を克服できたのは、「それを言ったら原爆を落とされる前、大正、明治、江戸、室町と時代を遡っていったら、この土地で無念の最期を遂げた人は数え切れないはず」という割り切り。そんなことを言っていたら日本中の土地で心霊現象が発生してしまうではないか。だから気のしても仕方ない、何も出やしない、と。

──『残穢』を読む前にその割り切りができてつくづく良かった。

本書はノンフィクションともメタフィクションともとれる体裁をとっており、引っ越したマンションで異変を感じるという、一読者の手紙から物語が始まる。最初は建物に曰くがあるのかと思えば、どうやら土地に因縁がある。ところがその土地を離れたものにも不幸が降りかかる──「穢」の「残」りである。穢は何代かにわたって伝播するし、触穢した者は自分の家にその穢を持ち帰り、そこからさらに拡散する。時間と空間が穢されるのである。

事故物件と言えばこのサイトが有名だ。作中の登場人物よろしく、「安いから」「面白そうだから」と好んで借りる人もいるみたいだし、自分のように霊感のない者なら大丈夫なようにも思える。が、実に淡々と因縁が解き明かされていく過程を『残穢』で読むと、それが現実のことであり、安易な気持ちで穢に触れるのは極めて危険に思われる。

そう言えば本作を読んでいた最中、耳元で聞こえるはずのない声がきこえ
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by non-grata | 2012-09-20 13:27 | 読書

『日露戦争史』を買うべきか

日経新聞夕刊の著者(半藤一利)インタビューを読んで、大いに気持ちが揺らぐ。既に書店で何度か「買うたやめた音頭」はしていたが、積ん読が増えてきたこともあって躊躇していた。インタビューで気になった文言はこんなところ。

●調べれば調べるほど、極めて過酷な戦争だったことが分かる。
●戦争終盤になると(中略)日本国内にほとんど兵が残っていなかった。日本軍は壊滅寸前だった。
●日本政府と軍部は総力を挙げて戦争終結を目指した。そして、賠償金を放棄してまで講和条約(ポーツマス条約)を結んだ。
●日本の力を国民が過信した。(中略)教えづらいことは理解するが、事実を国民に伝えるべきだった。

『日露大戦』をデザインする時、注意を払った点はそこだった。国力を考えると日本がロシアに軍事的に勝利することはできない。勝利できるとすれば、史実通りバルチック艦隊が壊滅してくれて講和に持ち込むしかない。となると、日本海海戦で日本軍は絶対勝利を収められるという前提が必要で、プレイヤーの意思が反映できるのはそれまで──時期的には奉天会戦までということになる。

奉天会戦までの主要な戦いで、日本軍は勝つには勝ったが損害は多く、中にはロシア軍が勝手にさがってくれたという戦いもあった。ユニット数やカード・イベントの内容、それに決戦志向に誘導する勝利条件などで、日本軍の言う勝利がごく戦術的なものに過ぎなかったことを表したつもりである。

昭和の戦争では日露戦争における戦争指導が参考にされたというが、国民向けの夢物語のほうが下敷きにされたらしく、実態が学習されていなかったという著者の指摘に頷くばかりである。やはり「日本はすごい国」「日本人は優秀な民族」という論調の記述や番組は眉に唾しておかないと、昭和の軍部と同じ過ちを犯しかねない。
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by non-grata | 2012-09-19 17:28 | チラ裏

失敗の本質 日本軍の組織論的研究

d0252390_1219250.jpg日本軍が敗退した六つの戦い──ノモンハン、ミッドウェイ、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄──をケース・スタディとして、日本型組織にその敗因を見出そうという試み。よその会社はどうか知らないが、自分が勤める会社を振り返った時、考えさせられるものがあった。

まずノモンハン戦。この戦いでは最前線、現場、後方の命令系統が不明確だった上に、現場(関東軍)と後方(大本営)の序列も曖昧だった。大本営から国境越えの空襲が禁止されそうになると、明確に禁止される前に関東軍はタムスク空襲を敢行する。敵情を探らないのは日本軍のいつもの悪い癖だが、ノモンハン事件もそうで、戦車、火力不足を伝える最前線の報告を、現場は戦意不足で切り捨てる。

この前の張鼓峰戦では日本軍は辛勝を収めたが、ソ連側は日本軍の夜襲で苦しめられたことに学び、ノモンハン戦では十分な対策をとった。一方、ノモンハン戦では貴重な戦訓を得た筈の連隊長はことごとく戦死、または自決を迫られ、この戦いから何らフィードバックされることはなかったのである。

ミッドウェイ海戦。これはもう、意味不明。戦力の分散に逐次投入という愚を犯しつつ、しかもミッドウェイ島を攻撃することで米空母を誘引、これを撃滅することを目的としながら、現場の南雲中将は当初の計画を変更して武装転換を行い、これが命取りになった。さらに南雲中将は責任を取らされることもなく、「仇を討たせてやりたいから」という理由で機動部隊の司令官を続けた──その後の空母戦では互角に戦っていたから、敗戦から学んだこともあったのかもしれないが。

ガダルカナルは陸海空三軍の戦いであった。島を占領するには陸軍が必要、その陸軍を輸送するには海軍が必要、そしてその海軍を守るのに空軍が必要である。この複雑な立体作戦を指揮するためには、セクショナリズムを取り除いた統合参謀本部的な強力なリーダーシップが必要なはずで、米軍にはできて日本軍にはできなかった。戦争の戦略目標が不明確だったのがその一番の理由。目的がわかっていないのに手段は選べない。そうすると、どうしても手段が目的化してしまうのである。

インパール作戦。もともと成功の見込みのない戦いだったにもかかわらず、声の大きな者の意見が通ってしまって悲劇を招くという好例、いや悪例。しかも、作戦参加の師団長は「無理」と断言するも、それが言えない空気をつくり出したり、作戦の頓挫が途中で明らかになった時も、言い出しっぺが「自分が無理だと感じていることを察して欲しかった」と言い出す始末。

レイテ戦は、日本軍にしては緻密な作戦を練り上げたし、あの時点で万歳する以外にできた最良の作戦だったようにも思えるが、ここでも「目的」の不徹底が裏目に出た。本来はレイテ島に押し寄せる米輸送船団の撃滅が目標だったはずが、敵主力空母が捕捉可能だった時、これを目標にしても良いという拡大解釈が成り立つ命令だったため、かつ、水上部隊指揮官がはなから輸送船団撃滅を考えていなかったために作戦全体が瓦解してしまった。特に大きな組織を動かす時は、明確な「目的」が必要であり、それを周知徹底させなければならない。

沖縄戦も作戦目的が曖昧。本土上陸の時間稼ぎとするのか、それとも航空決戦を挑むのか。沖縄を「浮沈空母」として、来寇する米機動部隊に猛攻を加えてこれを撃滅すれば言うことはないが、日本のどこを探してもそんな力は残っていなかった。ところがその虚妄を捨てきれず、大本営は作戦方針が二転三転、現地軍に混乱をもたらしただけであった。保持していたからと言って使い道のない飛行場を破壊しなかったこと、さらには奪回を命令したのである。

ということで、自分の会社を考えた時、まず「目的」の不明確さが当てはまる。そのため、管理職がイニシアチブを持って「手段」を選択することができない。トップ・ダウンの硬直化した組織になる。市場の状況は変化しているのに、それに対応することができない。「一つの組織が、環境に継続的に適応していくためには、組織は環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなくてはならない」のだが。

組織がそれだけグダグダでも、何とか戦を続けられてきたのは、最前線の下士官、兵士の能力が高かったからである──とよく言われ、以前は「他に褒めるところがないからではないか」と訝しがったこともあるが、自分の会社を見るとその指摘は当たっているようにしか思えない。即ち前線の営業マンは、酷寒の満州や灼熱のジャングル、茫漠たる中国大陸で作戦目的もわからないまま戦っている勇敢な兵士のようなもので、彼らの戦術的勝利が続いている限りは、作戦的なちょっとしたつまづきが挽回できてしまう。しかし作戦、あるいは戦略に誤りがある以上、早晩戦術レベルの勝利ではいかんともし難い状況が訪れるのである。

と、そこまで薄々気づいている者たちで何とかしないと。



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by non-grata | 2012-09-18 13:18 | 読書

るろうに剣心

d0252390_9464434.jpg新千歳空港にはじゃがポックルシアターがあって、仕事が早く終わったらフライトまでの間、是非一度利用してみたいと思っていた。その機会が早速訪れた。頑張れば午前中で仕事を終わらせられ、予約便は18時15分発。空港に着いたのが14時過ぎだったので、時間潰しにちょうど良いタイミングだった。が、タイミングが合うのは『るろうに剣心』だけだった。

国内を二分する戦いがあって、鬼神もかくやという働きをした伝説の兵隊がいる。戦いが終わるとその兵隊は姿を消す。世の中は大きく変わったが、変化についていけない兵隊崩れも大勢いて、治安はまだまだよろしくない。そして大事件が発生し、その鍵を握るのは「伝説の兵隊」だった──という本作のプロットは、西部劇でもお馴染みだ。拳銃の代わりに(いや、拳銃もガトリングガンも出てくるが)剣戟、そして格闘が主体となっている。

西部劇は、最初はネイティブ・アメリカンを悪役にした単純な話が主流だったが、『シェーン』あたりから事情は変わる。南北戦争に従軍した元兵士たちの確執がそこに描かれるようになった。戦争が終わり、食い詰めた者たちは西部を目指した。かつては敵同士だった元兵士が、西部で再び衝突するのだ。一方、『るろうに剣心』の浪人はどうか。新しい時代の変化にうまく対応して稼ぎまくった怪しい貿易商・香川照之の下に集まったのである。

かくして、新時代にふさわしい(?)拝金主義の香川たちと、「武士は食わねど高楊枝(と言われながらも牛鍋をつついていたのだが)」の佐藤健たちの対立が描かれる。前者の洋装に洋館、飛び道具に対し、後者の着物に長屋、刀は、開国vs鎖国、中国化vs江戸化を思わせる。もちろん勝つのは後者だし、かと言って時計の針を逆回転させるわけにもいかないので、本作では香川をある種の「化け物」として描くことで、厳密には前述した対立構造を外しているのだが。

日本史における英雄の7割は幕末から明治初期に誕生したとも言われ、また欧米列強に負けないための国づくりの過程もドラマチックであるので、この時期を扱う作品の多くは史実に即した壮大なものが多いが、西部劇のように個人に焦点を当てた作品も十分に成り立つはず。その可能性が感じられた。

以下、余談ながら、本作を見る直前に主演俳優の「お姫様だっこ」騒動をインターネットのニュース・サイトで見ていた。武井咲は尻を丸出しにすることなく抱えられていて安心した(当たり前である)。



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by non-grata | 2012-09-14 11:28 | 映画

選択日記

d0252390_23191181.jpg『文藝春秋』の紹介記事を読んで購入した一冊。「紹介記事」と言うより、序文がそのまま掲載されていたのだが。

シーナ・アイエンガーの『選択の科学』は有名で(買ってはいるが未読)、著者は「選択する、故に我あり」を主張する。人が選択するには、
(1)論理的思考に基づいて、または
(2)直感に頼って
行うが、実は第三の選択があると説く。それは、
(3)経験に基づいた直感
である。

常に論理的に判断できればそれに越したことはないのだが、様々なバイアスによって正しい選択ができないことがある。かと言って直感に頼るのは危険だ。しかし正しい選択を直感的に選べるだけの下地ができていれば、むしろその直感が頼りになるのである。

ということで本書は、第三の選択を養う具体的なメソッドが用意されており、早い話がタイトル通り、自分が下した選択を日記に書き込めるようになっているのである。そして全部で28の選択日記をつけた後で、自分が何に気をつけて選択していけば良いのかを教えてくれる。

誌面は、見開きの右側が日記、左側が選択に関するコラムという体裁。

果たして、日記につけるほど重大な選択をする機会がどれほどあるだろうかと、コラムを読みながら思っていたが、選択日記の実例がそんなに深刻なものでなかったので、例えば誰かの誘いに応じて飲みに行くか、行かないかという程度の選択から記録していくくらいの志で良さそうだ。いやむしろ、そうした些細な選択が人生に与える影響を常に意識していれば、転職や結婚、離婚といったより深刻な局面で正しい選択ができるのだろう。

値段も手頃、コラムも面白いので、いろんな意味で『選択の科学』は敷居が高いと感じられる人にとっての入門書となる。



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by non-grata | 2012-09-12 23:41 | 読書

反ポピュリズム論

d0252390_12193514.jpg全6章で構成されるが、そのうち4章はポピュリズム批判、他の2章は自身が仕掛けた「大連立構想はなぜ失敗したか」と、著者が提言する経済政策を解説した「日本をギリシャ化させないために」。

ポピュリズム批判には概ね同意。残念ながら新聞>ラジオ>テレビ>インターネットというメディアの格付けも正しいだろう。個人的には新聞不要論者だし、テレビもなくて構わない、インターネットがあればとりあえず困らないというタイプだが、それでも時間がある週末の朝に新聞を読めば、あの産経新聞でさえ(失礼)なかなか勉強になる。テレビやインターネットに溢れるサウンドバイト・ジャーナリズムではわからない背景が、人によっては無駄と感じられる紙幅を費やして描かれているからだ。

サウンドバイト・ジャーナリズムは無駄がないぶん、手っ取り早くわかった気にさせてくれてありがたいのではあるが、切り取り方には必ずバイアスがかかっている。

また無駄と思えるかもしれないが、やはり言葉を尽くすということも重要だ。決められない政治も問題だが、十分に議論されないまま結論を問われても困るのだ。もともとワンフレーズ・ポリティクスはYesかNoかの二元論に陥りやすく、本当は二択以外に選択肢があるのにそれが隠される。「断片的・瞬間的制約から、事実を過度に圧縮し、議論を単純化し、説明を省く結果、事実が捻じ曲げられてしまう」(同書より引用)。この点だけでも、どうにもポピュリズムには危機感を抱いてしまうのである。

経済政策については、ナベツネ氏の姿勢はTPP参加賛成。CIAの手先という噂があるのでごもっとも。ご丁寧にもルーズヴェルトのニューディール政策でアメリカが大恐慌を乗り切ったことに対し、そうではなく第二次世界大戦が景気回復の起爆剤になったとする経済学者もいると、わざわざ注釈を加えている。ニューディール政策は、孤立化して内向きの公共投資をじゃんじゃんやろうというケインズ的政策なのでTPPとは正反対。同じ反ポピュリズムの藤井聡、中野剛志がTPP参加に反対しているのが興味深い。

公共投資はやりましょう、ただし箱物ではなく福祉に。厚生労働省の2004年の試算によれば、建築土木に比べて景気や雇用に対する影響は、医療介護のほうが大きいのだという(そりゃあ、そう言うでしょう)。そのための財源は国民のタンス預金。金利ゼロまたはマイナス金利の国債を発行して、それを買ってもらおうというのだ。普通に相続することを考えれば、ゼロまたは多少のマイナスでも「お得」というわけである。これには元ネタがあって、1950年代のフランスでは成功したのだという。相続するものもさせるものもない身としては、これがどの程度の動機になるのか、なかなか想像がつかない。



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by non-grata | 2012-09-11 16:12 | 読書

今年は何でも五つ星
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