おっさんノングラータ

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『緑衣の女』アーナルデュル・インドリダソン

d0252390_15394445.jpg湿地』を読んだのはかれこれ一年前か。うーん、時間の流れの速いこと。以下、ネタバレありです。

アイスランドの警官もの。子どもが小さい頃に家を飛び出してしまい、成長した子どもたちはそれぞれ問題を抱えていて(男の子はアル中、女の子はヤク中)、何で俺はあの時、家を出て行ってしまったんだろう、妻との生活を耐えていたらどうなっていただろうと、何かあると過去に苛まれる主人公エーレンデュルの私生活と、郊外の開発地で人骨が発見された事件の捜査、そして過去に起こったDVという三つのエピソードが展開されます。前作も暗かったけれど、今回はそれに輪をかけて暗い。

確か前作で和解したはずの娘が、またもエーレンデュルと仲違いして堂々のヤク中復帰。しかもお腹の子(女の子)は死に、娘も意識不明の重体。奇跡でも起こらない限り回復は望めない、効果あるかどうかわからないけれど話しかけて欲しいと医師に言われ、時間を見つけては病室に足を運び、話をするエーレンデュル。それで出て行った時の話、そして自分の身の上話をするのだけれど、それがまた暗い。

もちろん、過去のDV話も暗い。読んでいて居たたまれなくなるほど。アイスランドに特定のイメージは持っていなかったけれど、国土が狭くて人口も少ないので、シンガポールのように女性の社会進出が進んでその地位も高いのかと思ったら、そんなことはないんですね。話の中心は過去のDVですが、現代のDVにも触れられており、エーレンデュルも魂を傷つけられるという意味でDVの被害者なのかもしれない。女性捜査官がそんなに多くないと言う同僚エリンボルクに対して、「そりゃあかん」と登場人物に言わせていることからも、女性の社会進出はそれほど進んでいないのかも……うーん、2009年の調査では1位なんですけどね(日本は75位)。

その調査結果はさておき、本作では不幸な女性ばかり登場します。エリンボルクとベルクソラは別として、自分が誰にも愛されていないと感じ、すぐに自暴自棄となるエーレンデュルの娘、叔父にレイプされて身ごもり、婚約者との結婚を諦めざるを得なくなったソルヴェイグ、今と過去のDVに遭っている母親とその娘、過去の娘は医療ミスで障害を負ってしまう。アイスランドに駐屯したアメリカ兵との間にできた女の子もそうか。第二次世界大戦から現在まで、いやいや1910年のハレー彗星大接近から現在まで、女性が受けてきた苦痛を通じてアイスランドの風俗というか社会を、少しだけ垣間見ることができます。

そんな感じで今作は完全に男性が悪役。DV夫は、恐らく暴力を振るわねばならない自分、妻にしか偉そうにできない自分のことがわかっており、ほとほと嫌でエンド・マークを誰かに出してもらいたかったのでしょうし──それがいまわの言葉なんでしょう、エーレンデュルも娘とのことは忍耐が足らなかったと言えます。恋人との結婚に踏み切れないシグルデュル=オーリも悪役か。

鬱々とした話だし、男性だけに引け目を感じること多々、なんですが、現代と過去を行ったり来たりしつつ物語が核心に迫っていくので、ついつい読み進んでしまいます。

絶望の中にも希望が見出される幕引き。障害を負っても、いつかそれを克服できると他の子と同じように接した母親と、届かないと知りつつも娘に語りかけ続けたエーレンデュルの姿が重なり、奇跡が起こるわけですよ。

次作の翻訳が待ち遠しいんですが、また来年でしょうか。



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by non-grata | 2013-09-05 16:36 | 読書

『月下上海』感想

d0252390_1423845.jpg「食堂のおばちゃんが松本清張賞を受賞した」とNHKのニュースで報じられていたのを見て購入。「船が東シナ海から揚子江の河口へ入ろうとする時、甲板にいる船客は不思議な光景を目にする。青白い海の水の先に、茶色い水が広がっているのだ。(略)船は青白い水域から茶色い水域へと入っていく。(略)水は水平線の果てまで茶色と青白い色に分かれたまま、見えない壁に隔てられているかのように、決して交わらない」という冒頭の一文で、頭の中は戦時下の上海へ。色のコントラストも見事だが、主人公が日常から切り離されて非日常に放り込まれたことも強く印象づける。

もっとも主人公の日本での生活も庶民からすれば「非日常」なのだが、それ以上の、戦時下で、上海のような猥雑な街でなければ許されないような冒険が待っているのだ。

絵描きである主人公が日本で事件をやらかして上海にやって来るわけだが、小説はその今と、やらかした過去とを交互に描く構成になっている。過去が現在に追いついたかと思えば、そこから新たな物語へと発展して、最後まで一気に読ませます。「戦時下」「女性が主人公」「超展開」の三つのキーワードは『チャーチル閣下の秘書官』と共通しているが(ついでに実在の人物を登場させることで物語に妙なリアリティを感じさせてくれるのも同じ。チャーチルに対してこちらは菊池寛だが)、こちらは読んでいて様々なものの匂いが漂ってきた。

以下、印象に残った台詞など。

「琵琶の音色の違いに似ていると思いませんか? 指でつま弾く支那の琵琶の音は、柔らかく、多彩で、色とりどりの花が咲いているようです。撥で弾く日本の琵琶の音は、強く、シンプルで、風にしなう青竹のようです」
主人公が漢詩の北京語の音読と日本語の読み下し文との違いをこう説明した。北京語の音読も支那の琵琶も聞いたことがないけれど、妙に説得力がある。

「人は思い出だけでは生きられない。今を思う心と、過去を偲ぶ心は、住む場所が違うのです。だから、共存出来る。忘れられない人がいても、別の人と共に歩むことができる」
そんな機会は訪れることはないだろうが、言えるものなら言ってみたい台詞だ。



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by non-grata | 2013-07-23 14:51 | 読書

『チャーチル閣下の秘書』感想

d0252390_135917.jpgタイトルに「秘書」とあるけれど実際は「タイピスト」。弱腰チェンバレンに代わって戦時下のイギリスの舵取りを任されたウィンストン・チャーチルのタイピストを任されたアメリカ育ちの主人公マギーが、自分の出自の謎に向き合いながら、巨大な陰謀にも向かっていくという冒険譚。ファンタジーです。

とは言え「役者あとがき」にある通り、20代半ばの若者がチャーチルの秘書官を務めたのは事実であり、彼彼女たちが物語の中で頑張っている様を眺めるのは何とも微笑ましい。公私混同でプロフェッショナルさを感じさせないのに結果を出すところがイギリス的な感じがしないでもないが、個人的に受け入れにくいのと、「スーパー戦隊シリーズ」の悪役もびっくりの敵方の間抜けさ、気がつけばゲームの世界に入っていました的な超展開にお腹一杯なので、シリーズ続編を読むかどうかは微妙。

以下、印象に残った台詞など。

「戦時において、真実というレディは極めて尊い存在であるから、常に嘘というボディガードでお守りせねばならない」
──ウィンストン・チャーチル

「爆弾なんかより、ナショナルローフをドイツに落としてやればいいのよ」
ただでさえまずいイギリス料理の代用食なんて!

「絵描きは寂しさを覚えることがないから幸せだ」
「その通り。KPO(Keep Plodding On)。いま我々がやっていることがそれだ。ゆっくりでも歩き続ける」
「中に入るとチャーチル家の紋章があり、その下にはスペイン語でFiel Pero Desdichado──不運でも誠実であれ、とモットーが入っている」
出典は調べていないけれど、チャーチルの言葉とチャーチル家のモットー。どれも格好良い。



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by non-grata | 2013-07-23 14:20 | 読書

おもろいおっさんの話|『日本人のための世界史入門』感想

d0252390_12531557.jpg●世界史は
●だいたい
●ガンダムで語れる。

【140字で】
世界史の流れを、面白エピソードを中心にざっくり教えてくれる。「歴史は偶然の産物」と冒頭でかかれているがまさにその通りで、では何故その偶然が起こったのかを、調べるのが楽しいのであり、歴史を学ぶ面白さである。著者の「だいたいでええんや」という言葉が何と心強いことか。

これもずいぶん前に読んだ本で内容を忘れつつあるが、いかんな、備忘録で始めたはずのブログが、ブログをつけることすら忘れるとか。それなりに付箋はつけてあるので、面白かったことは間違いない。

> シナ歴代王朝の覚え方として、「夏殷周秦 前漢新 後漢三国 西晋東晋南北朝 隋唐五代 北宋南宋 元明清 中華民国 中華人民級倭国」というのを、私は使っている。
なるほど、これは覚えやすい。

> 近ごろでは、聖徳太子はいなかったという説(大山誠一)もあり(略)古代の女帝は中継ぎだという通説を批判する人もいる。
> 聖徳太子非実在説が天皇制への攻撃だとして反論したり、女帝中継ぎ説の批判をフェミニズムの立場からしたりするイデオロギー的な立場は、まったく非学問的で問題にならない。
特定イデオロギーからのノイズが厄介なのでフィルターをかけたいところだが、それには相応の史観を身につけなければならないのだよなあ。

> 「『知の再発見』双書」は、簡便で図版が豊富で、世界史の勉強にはいいシリーズである。
> 清水書院の新書は、ほかの新書版が見落としているような歴史や文学についての概説書があり、穴場である。
買わなくちゃ!

> 宗教というのは、内にいるか外にいるかの二種類しかなく、外にいる限り、他宗教ないし内ゲバでの戦争で人を殺そうなどという情熱の出所というのはとうてい理解できないものだ。むしろ、そのようなわけの分からない宗教的情熱を理性で理解しようとする姿勢自体が、非宗教的なものであり、啓蒙思想以後の理念なのである。

> フランス革命は近代をもたらすための劇薬であったと書いている。なるほど、このあたりが妥当な評価だろう。
革命に流血はつきものだが、フランス革命はちょっと血が流れすぎてんよ、というレベルで当時から賛否両論だった。近代を手に入れるのは、かくも大変なことだったのだ。
その恐怖政治をもたらしたロベスピエールについては、
> 私がロベスピエールが好きなのは、生涯童貞だったとされるからかもしれない。
って、おい。
> フランス革命は、ブルジョワ革命であるのみならず、男だけの革命だった。「自由・平等・友愛」がその標語だが、友愛はフラテルニテ、兄弟愛で、男同士の友情であって、女は排除されているのだ。安達正勝はこの点に着目して、『フランス革命と四人の女』(新潮選書)を書いている。そこからすると、「友愛」などを掲げた民主党の総理は、割と無学だったことになる。
そうだったのか。『フランス革命と四人の女』も気になる。

コラム「歴史を歪める安易な呼称変更」が秀逸で、ビルマ/ミャンマーについて言及されている。1989年に改称されたが、日本以外の国は軍事独裁政権を認めず「ビルマ」の呼称を使い続けた。テレビでは久米宏だけが頑なに「ビルマ」と呼び続けていたことが思い出された。



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by non-grata | 2013-07-10 13:32 | 読書

歴史認識の問題|『コリーニ事件』感想

d0252390_1195778.jpg●最初は眠たい話でした。
●当時の認識では、兵士1人殺されたら報復で市民10人殺すことに大きな違法性はない。
●歴史認識は常に変わる。

以下、超ネタバレになるので注意。

67歳になるイタリア出身の労働者コリーニが、ドイツ産業界を代表するような大物(85歳)を射殺するシーンで幕開けする。犯人ははっきりしている。しかし動機は不明(登場人物の年齢と、ドイツの法廷ミステリということで出オチと言えばそれまでだが、気づかなかった)。容疑者の弁護を務めるのは、これが初仕事となる新米弁護士。被害者側はベテランの刑事事件専門の弁護士である。

主人公の新米弁護士が、親友(故人)の父親を殺した犯人を弁護するというのは皮肉な話だが、同じような皮肉が第二次大戦中にイタリアで起きていた。

1943年9月にイタリアが枢軸から脱落、ドイツ占領下に置かれた。以後、占領軍はパルチザンの破壊活動に悩まされることになる。そこでドイツ軍は兵士1人が殺害されたら市民10人を報復で処刑することを宣言、パルチザンでも何でもないコリーニの父親も捕まって銃殺されたのだった。

銃殺を指揮していたのはSSの将校。戦後、このことが裁判沙汰になったが、SS将校がしたことは上からの命令に従ったまでで、1人:10人のレートは当時の認識としてそれほど残虐行為であるとは言えない、という判断が下された。この辺り、うろ覚えで書いているので詳しくは本書を読んでください。

時効の問題もあって、ここに法律的な抜け穴ができてしまったため、コリーニは実力行使に出たというわけ。

「作中で語られた驚愕すべき“法律の落とし穴”がきっかけとなり、ドイツ連邦法務省は省内に調査委員会を立ち上げた」(帯より)そうだが、まさに、歴史とは歴史認識から始まって、歴史認識は時代によって変化するものである、ということを痛感させられる。昔、謝罪したからもう終わり、その話はなしなし、とは言えない、少なくともそういう態度を外に向けてはならないのだ。この点、ドイツには大いに見習わなければならない。



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by non-grata | 2013-07-09 11:33 | 読書

子どもが世界を救う?|『少年十字軍』

d0252390_8393397.jpg●『機動戦士ガンダム』
●「アムロがいれば大丈夫」
●僕にはまだ帰れるところがあるんだ。

少し前に読んだ本なので記憶が曖昧。帯を参考に物語を概説すると、13世紀、第四次十字軍の後で、神の啓示を受けた少年エティエンヌを中心に少年十字軍が結成された。啓示を受けたばかりか、エティエンヌは行く先々で奇跡を見せる。この話、史実をベースにしているというから驚きだ。

信仰心からと言うよりは、食い詰めた少年少女たちが方々から集まり、少年十字軍は次第に大所帯になっていく。またこれを利用しようとする大人たちも現れ、客観的にはバッド・エンドしか見えてこない。それでも子どもたちは「エティエンヌがいれば大丈夫」と全幅の信頼を寄せ、マルセイユへ、そしてエルサレムへ到達できることを本気で信じているのである。

というところで思い出されたのが『機動戦士ガンダム』(ちょうど今、BS11で放映中)。少年少女たちが乗り組むことになった強襲揚陸艦〈ホワイトベース〉とモビルスーツ「ガンダム」。彼らは早々に奇跡を起こし、「ニュータイプ」という神の子どももその中にいる。連邦軍という「大人」の都合に翻弄されつつジャブローを、そして宇宙を目指す。

十字軍が決して清冽な行為でなかったのと同様、連邦軍の戦いも一方的な正義があったわけではない。ということが、どちらも物語を通じて語られる。アニメがそうであるように、本作も歴史的背景ゼロからスタートしても、ストレスなく読み終えることができる。

悲惨な結末しか予想できないのだが、回収された伏線のおかげで救いが用意されている。それこそ奇跡なのだが、この点も『ガンダム』と同じであることに、今さら気づかされたよ!



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by non-grata | 2013-07-08 09:29 | 読書

スキルとセンスの違い|『経営センスの理論』感想

d0252390_8184134.jpg●経営にはセンスが必要。
●スキルは連続性の産物。伸ばしやすい。
●センスは、「持っている人」へと育てなければならない。

前作『ストーリーとしての競争戦略』は未読だけど、その概要は本作の端々に散見されるし、最近どこかで聞いたことがある話。そして関西(だけに限らないと思うけれど)では、自分のアイディアを実行に移すため、あるいは人にそうさせるため、「絵を描いてみせる」なんて言い方をする。「ストーリーを創る」のと同じ意味合いだ。

「日本的経営は是か非か」「日本企業のものづくりは大丈夫か」とか、国を単位にこれほど活発な経営が議論されている国は日本だけではないか。
言われてみればその通りで、「経営」「戦略」は企業単位で考えることであり、国単位で捉えても仕方がない。

ポートフォリオ経営の本質は過去を忘れる力。過去をなかったことにして、事態が変わればスパッと気持ちを入れ替えて、あたらしくポートフォリオを組みなおすという変わり身の早さが求められる。
多角経営でリスクを抑えて全体の収益を上げていく。ということであれば、不採算部門、将来性に乏しい部門に見切りをつけて、より大きな利益を上げられるようポートフォリオを組み続けなければならない。これがどうも日本人には不得手なようで(あ、また国単位で考える)、一意専心な事業づくりのほうが向いているんですかね。

競争戦略論には、昔から大まかにいって2つの考え方がある。この2つは想定している「違い」が違う。ひとつは「ポジショニング」、もうひとつが「能力」(capability)という考え方だ。
ロンドン・オリンピックの結果とかけて競争戦略論が説明される。資源的な制約がある場合はポジショニングを取る(「アウトサイドイン」の発想というらしい)。即ち、勝てるところで勝負をかける。全体の能力を上げることで勝負しようというのが後者で、インサイドアウトの発想となる。

ベンチャー企業、若い企業はポジショニング、企業が成熟してくると能力重視を取る傾向にある。

人間が何かに継続的に取り組めるとしたら、その理由は2つしかない。「意味がある」と「面白い」、このどちらか(あるいは両方)だ。
働く側もそのことに気づく必要があるし、経営側もそれらを提供する必要がある。



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by non-grata | 2013-07-08 08:37 | 読書

『犬の伊勢参り』感想|★★犬だけじゃなく牛も豚も(猫は?)

d0252390_10133422.jpg「犬の伊勢参り」と言っても、人が犬を連れて伊勢参りをするのではなく、犬が単独で伊勢参りをしたという話。嘘っぽいけれど記録もいくつか残されているので本当のことなんでしょう。

いきなり犬が伊勢参りを始めたというのではなく、その背景にお蔭参りがあった。数百万人が、全国から突如、伊勢参りをしたという社会現象で、奉公人が仕事中、あるいは子どもたちが遊んでいる最中にふっと姿を消したことから、「抜け参り」とも呼ばれる。雇っているほうとしては迷惑この上なく、奉公人が戻ってきたら暇を出されそうなものだが、「伊勢参りなら仕方がないか」という風潮があったようだ。伊勢へ行くのを促すお札が空から降ってきたりするものだから(これも仕掛けがあったようで)、お蔭参りする人を誰も止められない。

さて江戸時代、犬は特定の個人ではなく地域に飼われていた。いつも遊んでくれていた子どもたちが抜け参りをして突如いなくなる。その子どもたちを追いかけて犬が伊勢を目指し、伊勢参りする人々の誤解もあって、「犬の伊勢参り」第1号が生まれたのではないかと想像される。

その後、事情があって伊勢参りに行けない人が、代わりに犬を送り出すようになる。首に銭を通した紐をかけており、宿屋が世話すると、そこから幾ばくかの代金が引かれる。が、犬の伊勢参り成功を願う人々が寄付することもあったので、帰ってくる頃には出た時よりも多くの銭をぶら下げていたという。もちろん首には、どこの犬なのかを記した札がつけられており、無事に帰れるよう多くの人が手を貸したに違いない。中には飼い主が知らない間に伊勢参りをした犬もいた(山形)が、最長記録は青森県からだったという。

牛が伊勢参りしたとの記録も残されている。広島では犬より豚がポピュラーな動物で、豚に伊勢参りを託した者もいたようだ。

明治以降、「犬の伊勢参り」は途絶える。犬の飼い方も西洋化され、地域ではなく特定個人で飼われるようになった。不特定の飼い主に飼われていた「地域犬」は野犬として処分されるようになったからである。

ということで、今年は式年遷宮の年だが、残念ながら犬が伊勢参りをすることはないだろう。本書を読んで、愛犬を伊勢参りさせたいと思う人はいるかもしれないけれど。



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by non-grata | 2013-06-27 10:42 | 読書

『巨鯨の海』感想|★★★また太地町に行きたくなる

d0252390_905693.jpgこれまでに2回、太地町を訪れたことがあって、1回目は純粋に観光。くじらの博物館に行ったり、イルカショーを見たり。2回目は無性に鯨が食べたくなり、くじら祭へ。国際司法裁判所の判断次第では、今年のくじら祭は中止になるんですかね。『巨鯨の海』を読み終えたので、もう一度くじらの博物館へ行って、夷様をいただこうと思ったのだけど。

『巨鯨の海』は太地町を舞台にした短編小説集で、太地町に生きる人々が主人公。古式漁法での鯨魚取りは死と隣り合わせだが、鯨を仕留めれば浜が潤う。いたずらに「狩る」のではなく、人間も、鯨も、生きるために戦っていたのだということを教えてくれる。

何しろ文章が巧いので、捕鯨シーンは迫力満点。血潮を浴びたり、浜が血で染まったりといった光景が目に浮かび、血と潮の混じった匂いまで漂ってくるが、少しも嫌悪を感じない。それどころか、自分が太地町の住人の一人になったような錯覚に陥る。ああ、でも生の皮とか肉は食べられそうにない。

どれも面白い話だが、特に印象に残ったのは、ニートが本気を出す話。捕鯨に関する仕事ができないなら、太地町では丁稚になるか(計算ができないと駄目)坊主になるかしかないが(読み書きできないと駄目)、どちらも苦手な主人公がついに家から追い出されそうになる。ニートが下した決断とは? 竜涎香の話も切ない。鯨の腹の白さが持つ色っぽさと、女性の下腹を重ねる話は、想像できるだけにちょっと恐い。明治になってからの話は、考えさせられるものがある。

個々の話につながりはないが時系列で並んでおり、江戸時代から明治初期にかけての太地町の捕鯨の歴史を概観できる。1854年に日米修好通商条約が締結されて以来、鯨が捕れなくなり、明治には古式漁法による捕鯨が幕を下ろすわけだが、つくづく日本の捕鯨は、外国の都合に翻弄されるのだなあと嘆息する。



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by non-grata | 2013-06-27 09:53 | 読書

『解錠師』感想

d0252390_991562.jpgずいぶん前に読んだので細部を忘れてしまったが(これだからおっさんは……記憶あるうちにメモしてかねば)、面白かった。さすが「このミス」1位の実力、映画化待ったなし!

「ぼく」が鍵破り──じゃなくて、「ザ・ロック・アーティスト」だから解錠師──になるまでの過去と、犯罪組織に利用される現在とが交錯しながら物語は進む。サスペンスと、ボーイ・ミーツ・ガール。金庫の鍵を開けることと、心の鍵(うわ、書いちゃったよ)を開けること。最後の鍵が開けられると、それまでの(面白いんだけど)重苦しい空気が吹き飛んで、あるいは水中にいることに気づいて急いで水面から顔を出した時のように、新鮮な空気で満たされる。

映画化されたらきっと観に行くけど、邦画化だけは勘弁な。



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by non-grata | 2013-06-20 09:19 | 読書

今年は何でも五つ星
by non-grata
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