おっさんノングラータ

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(B09)選んだのは私たち|『帰ってきたヒトラー』感想(★★★★★)

d0252390_15403842.jpg「面白い」とは聞いていたものの、これほどとは。

1945年、ソ連軍がベルリンに侵攻する最中、総統地下壕で拳銃自殺したアドルフ・ヒトラーが何故か2011年8月に復活する。その間の記憶はなし。ズドン、目が覚めたら現代の公園に転がっていたという次第。しかも服が何だかガソリン臭い(自殺後、遺体は既に貴重品となっていたガソリンをかけて燃やされたのです)。キオスクの店主に助けられ、テレビ番組のディレクターに見初められてコメディアンとしてテレビ出演。そしてあれよあれよと、まさに「電撃的」に人々の耳目を集めるようになる。

星一つ:シミュレーション小説として。アドルフ・ヒトラーが現代に甦り、今のドイツを見たらどう感じるか。政策をどう評価するか。政治家をどう思うか。ヒトラーは自分の番組で言いたい放題を言いますが、その言葉にどこか共感するものを感じます。上巻までは抱腹絶倒、ところが下巻までくると、「いや確かに言っていることは正しい(こともある)けれど、このままヒトラーに傾倒してエエんかいな」と不安になってくること請け合いです。原発の即時廃止、再生可能エネルギー支持の緑の党と意気投合するところなんか、笑っていいんだか何だかです。けれど、100年先200年先のドイツの在り方を考えているのは、ヒトラーくらいしかいないのも事実(何せ千年帝国を築こうとしたわけだし)。

星一つ:訳文の素晴らしさに。もちろん原文もすごいのだろうけれど、「ヒトラーなら言う言う」という口調がお見事。映画化されるそうですが、是非字幕も訳者である森内薫氏にお願いしたいものです。生憎ドイツ語は全くわかりませんが、文章を読みつつ、脳内では有名なヒトラーの演説(っぽいニセドイツ語)が流れていました。

星一つ:これは想像に頼るしかないのですが、第二次大戦中にドイツがやった悪いことは全部ヒトラーとナチスのせいにしたという負い目が、戦後ドイツにあるんじゃないでしょうか。実際のところ、ヒトラーが選挙で選ばれたにもかかわらず。「国家社会主義とは畢竟、明るい、人生を肯定するような運動なのだから」という言葉に賛同した人もいるでしょう。「不当に私腹を肥やしたことも、自身の利益だけのために何かをしたことも」ない党首を信用した人もいるでしょう。それがニュルンベルク裁判の結果、悪いのはヒトラーとナチス、ドイツ国民もある種の被害者、という線引きがなされた。線引きがなされたからこそ、戦後の政策が明確で健全な(少なくとも隣国と平和な関係を築いているように見える)ものになったのでしょう。が、その負い目を知らないYouTube世代は、ヒトラーが出演するテレビ番組の動画を見て無邪気に信奉したりできるのです。となるとやはり、ヒトラーの主張には何某かの真理が含まれていないかと、大いに考えさせられます。

星一つ:その思いを補強してくれるのが、ドイツ現政権(メルケル政権)への批判。生憎ドイツの政治情勢にも明るくないが、日本同様様々な問題を抱えているのでしょう。ヒトラーによる次のような政治家批判は万国共通のはずです。
「たとえばリベラル派に属する例のアジア顔の──ヴェトナム出身だという──大臣だ。医者を志しながらその修業を中断して政界に入り、政治家としてのキャリアに心血を注ぎはじめたこの若造は、いったいなぜそんなことをしたのか? まず医師の修業をし、医師として十年か二十年、週に五十時間か六十時間も働いて厳しい現実を目の当たりにして、そうして自分なりの世界観を築いてからなら、良心の声に従って意義深い政治の仕事を始めることもできるだろう」

これに対してヒトラーは、入院した病院で医者にインタビューを行い、ドイツの医療が直面している危機的状況に胸を痛め、解決策を探さなければいけないと考えます。実に真摯なのです。

星一つ:というように、アドルフ・ヒトラーは実に興味深い人物として描かれています。もっと言えば、好ましい人物なのです。ドイツは第一次世界大戦に敗れて国内はがたがた、戦後処理で領土を奪われ莫大な賠償金まで請求されました。ドイツ人が誇りを失いかけていたところ、ヒトラーは夢を見させてくれました。そりゃあ「国家社会主義ドイツ労働者党」は政権取るわー。

チャーチルが言うように、民主主義というのは最悪ですが、これまで行われてきた政治形態に比べればましです。となると、政治家を選ぶのは選挙しかないわけで、選挙民の義務としては、選んだ後も厳しく監視するしかないということでしょうか。



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by non-grata | 2014-02-28 16:25 | 読書

(B08)我々は戦争経済を知らない|『「レアメタル」の太平洋戦争』感想(★★★★★)

d0252390_88553.jpgレアメタル──希少金属の争奪が数年前に話題になりましたが、いやいやそんなもん70年以上前から問題でっせ、ということを教えられました。

戦争は資源の獲得が焦点であり、八紘一宇の大義名分を掲げた太平洋戦争も所詮は南方資源欲しさに始めた戦いであり、開戦理由を聞かされた東条英機をして「結局、このワシに物盗りをやれというのか」と憮然とした表情を浮かべたと伝えられています。

で、「南方資源」と言われて真っ先に思い浮かぶのがインドネシアの石油ですが、戦争遂行には鉄や銅といったベースメタルはもちろん、タングステンやマンガン、ニッケル、クロムといったレアメタルも欠かせません。本書では銅をタンパク質、鋼を骨格、レアメタルをビタミンに例えてきっちり解説してくれます。そして副題「なぜ日本は金属を戦力化できなかったのか」にある通り、日本の産業構造、総力戦体制の脆弱さ、無策さを追究しています。星一つ

知っているつもりで知らないことが多くて、非常にためになります。例えば、

●超16インチ砲艦でアメリカに勝負を挑むという考え方そのものはあながち間違いとは言えない。少なくとも43年までは、アメリカも大艦巨砲主義に拘泥していたし、戦艦の建造には長い歳月を要する。2年ほどのリード・タイムをアドバンテージに転化できるという発想そのものは健全である。もちろん航空優位が現実だったわけで、大艦巨砲主義そのものは過ちですが、物量戦になるとアメリカには勝てない=航空消耗戦では勝てない=航空優位論を唱えるなら戦争しちゃいかんでしょ、となります。大型戦艦の建造そのものにも膨大な鋼材が必要ですが、それを建造するための設備にもまた、膨大な鋼材が欠かせないというのも盲点でした。

●航空機を増産するのにアルミニウムを確保するだけではままならない。生産設備に工作機械、爆弾、魚雷、機銃弾の増産、搭乗員の練成も必要になる。そりゃあ当たり前ですよね。重金属から軽金属への産業シフトは大変で、ドイツでは飛行機の代わりに対空砲を増産しようとして苦労したということでした。

●太平洋戦争で、日本は緒戦で計画通り資源地帯を占領したが、思惑通り資源を確保することはできなかった。
フィリピン:マンガン産出量26,000トン/年だったのが、占領後200トン/年に。クロムは148,000トン/年が10,000トン/年に。
マレーシア:鉄鉱石100万トン/年だったのが、占領後は数万トン/年に。
インドネシア:錫54,000トン/年だったのが、占領後は5分の1に。
これだけ激減した理由は連合軍が撤退時に施設を破壊したからでも抗日ゲリラの妨害に遭ったからでもなく、単に運営能力の欠如によるものと、著者は指摘しています。熟練労働者は戦地に駆り出されており、現場のことをわかっていない役人が送り込まれたところで、できることと言えば軍票を乱発して地域経済を混乱させることだけ。まともな生産活動ができるはずもありません。八紘一宇、五族協和の精神は何処へ? 現代にも通じる問題提起に星一つ

●無謀なFS作戦は、ニューカレドニアのニッケルが狙いだった。FS作戦に限らず、「漏れなくレアメタルがついてくる」と言っておけば無茶な作戦も通るところがすごい。ドイツも似たようなもので、東部戦線でヒトラーがニコポリの死守命令を出したのはマンガンが産出されるから。実際は備蓄分はルーマニア、ハンガリー分があるのでそんなことはなかったそうですが、ニコポリのマンガンを失えばドイツの軍需産業は3カ月で息の根が止まると言われていました。そうすると東部戦線末期、赤軍がベルリンに向かっているのにハンガリーに主力を送り込んだのも納得がいきます。レアメタルが軍事のモチベーションになっていると教えてくれたことに星一つ

戦争には戦略という目標があって、軍事的にそれを遂行するために作戦術が編み出されました。それが19世紀のことで、作戦を有利に遂行するために戦術が、戦術を発展させるために兵器が開発されていきました。そしてその兵器を進歩させ、安定供給するためにはシステム化された産業が必要です。原材料の獲得、それを生産地まで送り届ける手段の確保、生産設備の整備、前線への供給といった一連の流れがシステムとして確立できていなければなりません。そしてそのシステムが戦略目標と同じ方向を向いていなければならないことは言うまでもないでしょう。そうした発想が戦勝国にはあり、敗戦国にはなかったわけで、さて我が身を振り返った時に、果たしてその敗戦から学べているのか自信が持てなくなります。星二つ



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by non-grata | 2014-02-20 09:17 | 読書

(B07)表紙詐欺|『星になるには早すぎる』感想(★★★★★)

d0252390_919841.jpgこれも日経新聞の書評で知った一冊ですが、書評を読んでいなかったら書店で手に取った可能性ゼロですわ。萌え系アニメ系を狙って外したようなイタい表紙に、それだけ取り出したら気恥ずかしいタイトル。(おっさんが)手に取るにはキツすぎる、てなもんです。

主人公は元女性刑事。自分のミスで婦女暴行犯を死なせてしまったことで警察を辞め、引きこもって酒浸りになっているところを、交渉(ネゴ)屋にスカウトされる。交渉屋の仕事は文字通り、あらゆる諍いを交渉によってまとめること。例えば……

「七つの子」。元教師だった母親が住む自宅を売却したがっている子どもたちからの依頼。母親は頑なに拒否するばかりか、最近はソフビの怪獣人形を買い漁るなど、もしかすると痴呆の症状が出ているのではないかと思われる言動も見られます。果たして彼女に自宅売却を納得させられるのか? 日常ミステリの要素もあり、隠された謎が明らかになるところで涙腺決壊必至。星一つ

「羽衣の下」。西宮歌劇(もちろん、宝塚歌劇が元ネタ)出身の女優にハリウッドの大物監督から映画出演のオファーが。しかしベッド・シーンが含まれていたため、女優はこれを拒む。彼女を「脱がせる」ため、交渉屋の登場です。着ているものだけではなく、心のカードも取り除くというベタな展開ですが、それがいいのです。星一つ

この女優がなかなか格好良いことを言っていまして、
「私たちに時間を巻き戻すすべはない。過去の失敗の責任なんて誰にも取れはしないの。せいぜいやれるのは、上から成功を覆いかぶせて傷跡を見えなくすることぐらい」
「この世で一番の罪は、無知でいること。愚かな人間は、いつか必ず他人を不幸にする」
などなど。三十路女同士のやり取りが微笑ましくて星一つ

「錆び鉄」。撮り鉄/乗り鉄とは関係なく、「錆びた鉄人」の意味か。在阪球団の四番打者がFAで横浜の球団へ移籍。単なる戦力アップだけではなく、チームの精神的支柱ともなり、移籍最初の年に弱小チームを優勝に導く……までは良かったのですが、その後は肉体の衰えを隠すことはできず、チームも連続でBクラス。その元凶こそ連続試合出場記録だけが取り柄となった彼であり、さらに高額の複数年契約のために球団の財政事情が逼迫、補強もままならない状態です。交渉屋に、契約内容を出来高制に変更する依頼が舞い込みます。3話の中で最もコミカルな内容ですが、主人公・薫の、交渉屋としての成長は見られないのに交渉を成功させる能力の成長が見られる話となっています。星一つ

続編に期待して星一つ

ところで、装画のクレジットは主人公である「一ノ木薫」と一字違いの「一ノ瀬かおる」なんですが、少女漫画家とイコールなんでしょうか。



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by non-grata | 2014-02-17 10:12 | 読書

(B06)ツンデレにもほどがある|『白の団と黒い王子』感想(★★★★★)

d0252390_8103447.jpg多い日でもアクセス数が3桁いかない泡沫ブログですが、それでも何らかの傾向が見て取れまして、最近はほぼ1年前の「『軍靴のバルツァー』感想」にアクセスが偏っています。何でや? と思っていたら、書店で最新第6巻を見つけて納得。それまでの話を忘れてしまうので、最新刊読むたびに既刊を読み返さないといけません。一気読みしたいタイプの作品ですよね。

それはさておき『白の団と黒い王子』。コナン・ドイルが19世紀に書いた騎士道物語で、舞台は百年戦争。Wikipediaによると、「ドイル自身は自らの歴史小説やSF物のほうに価値を感じ、シャーロック・ホームズシリーズを快くは思っていなかった。『白衣の騎士団』のような中世の騎士道を描きたかったといわれる」とありますが、いやいやこれ当時のラノベでしょ、という切り口で挑んだ訳書です。その大胆さに星一つ

修道院育ちで世間知らずのアレインが主人公。旅の途中で傭兵の仲間となり、トゥイナム城城代の騎士であるナイジェル卿の娘モードの危機を救ったことが縁でモードたちの家庭教師となり、卿の従騎士となって従軍、海戦に決闘、籠城戦を経験してスペインはピレネー侵攻に参加するという冒険譚。もちろん、モードとのロマンスあり。何というラノベ!星一つ

役者の後書きにもある通り、本作が翻訳されるのはこれが3回目で、最初は抄訳、2回目は原書房らしくクソ真面目な完訳で、今回は「超訳」。ダイジェストで書けばなるほど冒険譚ですが、そこは19世紀の小説、物語の進行はゆっくりとしており、目指しているところもなかなか明らかにはなりません。未読ですが、原書房の『白衣の騎士団』に挑戦していたら、途中で投げ出していたことでしょう。『白の団〜』は、訳者が適宜フォローしてくれている(と思う)ので、読みやすく、現代の読者でも置いてけぼりにされることはありません。星一つ。もちろん、百年戦争の概要を知っておくと、より深く楽しめるはずです。

原作から変えているのはエイルワードを男性から女性にしたことですが、面白いからそれでよし。「斑のチョウゲンボウ」の女将とのやり取りも、一層興味深いものになっています。

上巻のラスト、アレインがツンデレのモードに告白する件は、中世の趣きを残しながらも正統なツンデレの返しで、見事と言うほかはありますまい。星一つ。その父親がまた、誰にでも決闘を挑んでしまう「決闘マニア」で、アレインがモードに対する想いをなかなかオープンにできないあたりも、ベタな展開ですが楽しめます。大いに笑わせてくれたナイジェル卿に星一つ

前述の通り、Wikipediaにはコナン・ドイルは「中世の騎士道を描きたかった」とありますが、『白の団〜』を読むと、実はもう少し通俗的な話を書きたかったのでは? と思わされます。そのくらい今回の「超訳」が素晴らしかったということでもあるのですが。



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by non-grata | 2014-02-13 08:42 | 読書

(B05)戦国のオーディナリー・ピープル|『国を蹴った男』感想(★★★★★)

先日、『アイム・ソー・エキサイテッド!』のことをぼろくそに書いてしまいましたが、ありゃスペイン映画を鑑賞するこちらの姿勢が間違っていることに気づきました。スペイン映画は(全部ってわけではないけれど)ドラマ&コメディ&エロの3要素で成り立っていまして、そのうちのドラマは、論理的な整合性より全体の面白さが優先される。同作冒頭で、離陸したところで乗客が操縦席に押し寄せてきて、しかも中に入れてしまったものだから「そりゃないだろう」とつまらない常識が先に立ち、理解しようとしてできないままに話が進んでしまうというズレが生じたんでしょうね。確認のためもう1回観るかと問われると、そりゃ無理だと答えますが。

d0252390_939440.jpg昨年末、BS11で放映されている「宮崎美子のすずらん本屋堂」で紹介されているのを見て、無性に読みたくなった一冊。伊東潤氏の著作は以前に読んだ『巨鯨の海』も面白かったので、期待大ですよ。

それぞれの物語は直接にはリンクしていない、けれども微妙に重なっている戦国短編連作で、あまりスポットライトを浴びることのない人々を主役に据えています。

「牢人大将」は武田牢人衆の那波無理之介の話。牢人故、「無理を通さねば攻を挙げられぬ」の意気で戦う那波藤太郎は、信玄に「無理之介」の名をいただきます。信玄没後、武田家は長篠の戦いで文字通り壊滅するわけですが、戦勢に利なしと見るや雪崩を打ったように逃げ惑う家臣団に対し、家を持たぬ牢人衆は最後まで奮戦します。何故か。

「われらが逃げぬは、忠義心からではありませぬ。われらは、仕事をせねば飯が食えぬのです。たとえそれが死地であろうと、われらは託された仕事を全うすることで、食い扶持を得ています。いったん逃げ出してしまえば、われらは糧を得ることはできませぬ。それが、逃げても飯の食える直臣の方々とは違うのです」

牢人衆=派遣社員、直臣=正社員と考えるとわかりやすいか。牢人衆のプロフェッショナリズムに落涙。星一つ

「戦は算術に候」。算術に長ける長束正家と石田三成が主人公。正家は『のぼうの城』の忍城に対する水攻めを指揮。最初は「算術に間違いはござらぬ」の言葉通りうまくいったものの、梅雨明けで水量が減るとたちまち効果が薄れます。この算術偏重に対し、石田三成は豊臣秀吉の言葉「道具は使うもので、使われてはならぬということだ」を思い出します。ここで言う道具は算術。しかし道具は人でもあることを、関ヶ原の戦いで思い知らされることになるのです。

「算盤がいかに正しき答えを弾き出しても、それが正しいか否か、疑ってかかる必要がある」

それが正しいかどうかは別として、簡単に情報を得られる時代に重く響く言葉であります。星一つ

「毒蛾の舞」。賤ヶ岳の戦いにおける、佐久間盛政の物語。秀吉を罠にはめたつもりが、気づいたら自分が罠にはまっていたという悲劇。しかもその罠は、時間をかけて全身を冒す毒だった。まつマジ毒婦。

「人とは真に浅ましき生き物だ。どれだけ多くの武士が、死を前にして醜態を晒してきたか、わしはそれを嫌というほど見てきた。又左のように覚悟なき者は、死を前にすれば恩義などというものを忘れ、生き物としての本能に従うのだ」

そう言った勝家は、だから好機なのに秀吉を攻めきれなかった。そしてその言葉通り、又左を要に置いた盛政も敗れた。敗戦後、家臣に加われという秀吉の誘いを断って自害した盛政は、又左に勝利宣言をしたものの、結局、自分も「本能」に従って敗れたわけだから、まつには勝てなかったわけです。漢として勝って男として負けた盛政に星一つ

「天に唾して」。山上宗二が主人公。秀吉とのバトルが熱い。最後、宗二は秀吉に負け犬宣告を下す。

「秀吉は己の欲望に対して常に敗者だった。勝てば勝つほど、得れば得るほど、欲望は、それ以上のものを秀吉に求めた。それゆえ秀吉は、欲望の走狗として死ぬまで働かなければならなかった」

欲望は道具として使えばいいのであって、欲望に支配されては身を滅ぼすよね、と、「戦は算術に候」の教訓が思い出されます。星一つ

「国を蹴った男」は、鞠職人の五助と今川氏真の話。氏真は、戦国武将としての評価は今一つですが、生まれた時代が、家が悪かったとも言えます。五助との会話にほろりとさせられます。

「わしなど鞠を蹴るか歌を詠むほかになにもできぬ男だ」
「──蹴鞠や和歌がうまくて、何が悪い。欲にかられた餓鬼ばかりの世にあって、これほどのお方がいようか」
「鞠とは不思議なものよの。正しく蹴れば思うように戻ってくる」
「この世も、鞠のようであればよかったのにな」

何故か五助の面倒を見る宗兵衛の存在がミステリになっているのがまた趣深し。星一つ。表題作がやっぱり一番面白い。

家康が義理を果たした、ということもありますが、氏真のような人物が平穏に余生を送れる世の中が訪れたことに希望を見出せます。



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by non-grata | 2014-02-05 10:42 | 読書

(B04)儲かるから戦争協力|『そして、メディアは日本を戦争に導いた』感想(★★★★★)

d0252390_9364918.jpg半藤一利・保阪正康両氏の対談集。内容は予想通りと言えばそれまで何ですが、新しい発見もあって楽しめました。

大前提としてあるのが、新聞の偏向報道──朝日新聞が顕著な例ですが、戦前・戦中の戦争礼賛記事。あれは、軍部の圧力を受けて「やむを得ず」そういう紙面づくりがされたという論調ですが、売れるから新聞が煽ったという側面があるようです。という点に斬り込んでいるところにまずは星一つ。今も昔も大衆は見たいと思うものしか見ないのです。

もちろん当時は検閲もあったし、在郷軍人会による不買運動もあって、反戦的な紙面にすることはできなかった。売れないから続けられない。となると、座して死を待つか、国外逃亡するか(亡命というシステムはなかったのですが、満州に逃げたりはしたそうな。そこで何ができるわけではないにしても)、売れるものをつくるか。最初の選択肢以外は、ジャーナリストとしての死を意味するわけです。

半藤氏が警鐘を鳴らしているのは、何かあると雪崩を打ったように一つの意見に集束しようとする国民性。立ち止まって熟考することを許さず、一つの総論に突き進んでいきます。ナチュラルな全体主義とでも言うんでしょうか。その流れに乗ったのが戦前の新聞で、雪崩のスパイラルを起こしました。今はインターネットという便利な道具がありまして、耳障りの良い情報だけ取捨選択してクラスタ化、セルフ雪崩を起こしがちなのでより危険だなあと痛感させられました。星一つ

半藤氏は、今の日本が昭和一桁代に似てきている、国家が教育、情報の統制を始めたら気をつけなはれと書いています。このへんは大いに賛同するところで星一つ。「歴史を振り返ればわかるように、権力側はきっと(ジャーナリズムを)懐柔しようとします。それを承知しておいて、決して服従しないことが大切です。それでなくとも、言論が不自由になりつつあるんですから、こちらから屈従するのは間違いなんです」

ナショナリズムの高揚についても述べられていますが、これも賛同するところで、よく利用する書店に「嫌韓コーナー」があって驚かされたものです。もっともそのすぐ横にきっつい「愛国コーナー」があったので、書店員の皮肉かもしれませんが。とは言え、中韓政府の政策を見るとわかるように、反日を叫ばないと政治家が支持を得られないような状態に陥ってしまうと、これまた負のスパイラル。「思想にはまり込んで疑わないのは、いちばん楽なんですよ。全てが一元的に割り切れるから」との保阪氏の言葉は正しいでしょう。星一つ

二人、特に半藤氏は、自分はもう歳であり10年先に生きていないかもしれないので、ああしろ、こうしろとは言えない、と割り切っており、責任ある大人の態度というやつです。歴史に学べというアドバイスしかできない。いや本当にその通り。発言力のある人は歴史に学んだことを発言し、そうでない人もいろんなことを考えましょう。ヤスの母ちゃんのように。いろいろ考えさせられる良書でした。星一つ



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by non-grata | 2014-01-31 11:42 | 読書

(B03)赤ヘル1975/重松清(★★★★★)

d0252390_848863.jpg1975年と言えば来年で40周年。本作の映像化待ったなし! 映画でもかまへんし、NHK広島が頑張ってドラマ化してくれてもエエんやで。

広島東洋カープがリーグ初優勝した1975年を節目に広島ではいろんなことが変化しました。実際には少しずつ変質していたことも、歴史的イベントが変化を象徴づけるというやつです。1975年は原爆投下から30年、やはり節目であります。自分は小学2年生。仲の良かった友だちが小学1年生の終わりに、当時開通したばかりの新幹線で岡山に引っ越し、それが原因でやさぐれてしまって、小学2年生にして「一人学級崩壊」を起こしていました。いや本当に、何が気に入らないのか国語や算数の時間に机の上で粘土遊びをしてみたり、注意されたら教室を飛び出したり。カープが初優勝してからそんな悪癖もぱたりと終息し、以来(しばらくは)模範的な小学生になったんだから、やっぱりカープってすごいのです。

前年最下位に沈み、日本プロ野球界初の外国人監督をいただいたカープが開幕ダッシュに失敗した5月、ヤスが通う相生中学校に東京から一人の転校生がやってくるところから物語は始まります。変な意味でなく、ボーイ・ミーツ・ボーイの物語であります。典型的な広島の野球少年であり、「田舎の子」で不器用なヤスですが、友人のユキオとともに何かと転校生マナブのことを気にかけます。ここでまず落涙して星一つ

マナブは事情があって転校のベテランで、新しいコミュニティに馴染むためには何が必要か──人間観察を持ってその輪にとけ込む術を身につけています。が、ここは広島。世界で最初に原爆が投下された町。もちろん、戦争中に空襲で壊滅した都市は他にもありますが、広島には特殊な事情があります。放射線、黒い雨、入市被爆……被害規模で言えば東京大空襲のほうが大きかったかもしれません。後方地域に対する無差別戦略爆撃を、百歩譲って敵国の士気を落とすためのテラー・ボミング・タクテクスと見なすことはできても、広島・長崎に対する原爆投下は実験的、政治的含みが大きすぎて外道以外の何ものでもありません。とまあ、そんなわけでなまじ観察眼が良いために、マナブは広島の特殊性を目の当たりにすることになるのです。マナブの視線で描かれる、被爆30年のヒロシマに星一つ

本作には、自称「平和団体」同士の対立や宗教的なあれやこれやの問題にも逃げずに向き合っております。もちろんサイド・ストーリーであるし、広島生まれの人以外には理解されにくい問題ですが、ここを押さえてくれたことに星一つ。千羽鶴折らされたわー。

ヤス、ユキオ、マナブ三人の物語は、カープの成績同様、一進一退を続けます。カープが負ければ友情に暗雲が垂れ込めたり、大事な試合に勝てば関係が深まったり。高橋慶彦選手のプレーで主人公の人生が流転する『走れ!タカハシ』(村上龍)が想起されます。

ここからネタバレあり。注意。

マナブの父親はマルチ商法をはじめとして怪しい商売に手を出し、破産する(弱みにつけ込んで元義母の財産にすがる)、あるいは周囲に迷惑をかけて夜逃げします。マナブが転校のベテランになった理由もそれ。勝ち馬に乗りたがる父親ですが、弱小球団だったカープが、地道な努力を続け、シーズン半ばで指揮官の座を降りたジョー・ルーツの言葉通り「地域に貢献する」姿勢を忘れずに初優勝を遂げたことに、一瞬、気持ちが揺らいでいます。結局、優勝パレードの途中でマナブたちは広島を去り、その後も消息は知れません。父親に対しては安易な批判もあるでしょうが、彼は息子に対して戦争中のことを語っていないのです。あるいは、空襲によって一夜にして財産を、家族を、全て亡くしたのかもしれません。その記憶が一発逆転のビジネスへと、上辺だけでも彼を必要としてくれる詐欺師へと駆り立てている可能性もあります。

終戦から1975年までのほうが、1975年より今よりも近いということを思い出させてくれます。今度、広島に帰ったら原爆資料館に再訪しよう。という思いにしてくれたことに星一つ。ヤスの母親の平和運動に共感します。

で、カタカナで書かれていたからすっかり騙されたわけですが、優勝の年、後の投手王国・広島を支えたエース、北別府学投手が都城農業高校から入団しています。北別府と言えば広島一筋で200勝を達成した大エースですよ。同じ名前を持つマナブがその後、広島に戻ったかどうかはわかりませんが、1975年の広島での体験が彼の人生を良い方向に変えたことは間違いないでしょう。当時、広島に住んでいた人はきっとそうだし、住んでいなかった人も本作を読むときっとそうなる。そんな思いにさせてくれるラストに星一つ



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by non-grata | 2014-01-28 10:06 | 読書

(B02)昭和二十五年最後の戦死者/城内康伸(★★★★★)

d0252390_10303142.jpg海上自衛隊の掃海部隊が海外派遣されたのは湾岸戦争が初で、1991年3月にペルシャ湾へ遠征しています。掃海部隊を海外派遣したのって第一次世界大戦以来じゃないかと当時は思っていましたが、いやいや、朝鮮戦争にもこっそり参加していたんですね。しかも38度線を越えて。戦争放棄を謳っていたものだから、当時は、いや今もあまり大っぴらにしていない史実です。という歴史の襞に埋もれてしまいそうなエピソードに関する貴重な証言を集めてくれたことにまずは星一つ

太平洋戦争で日本の主要都市がB-29の空襲によって灰燼に帰したのはご存じの通りですが、空襲による直接的被害の他、機雷散布による海域封鎖という間接的被害も大きかった。これを「飢餓作戦」と言います。で、厄介なのは機雷は戦後になっても残っていることで、これを誰かが排除しなければなりません。実際、戦後になって民間船が触雷、失われなくてもいい人命が失われた事件が多発しています。機雷は散布後、一定期間が経過すると無力化しなければジュネーブ条約違反らしいですが、適当です。という機雷戦に関していろいろ学べたことに星一つ

機雷をばらまいた張本人のアメリカが掃海してくれるはずもなく、元海軍の人員で構成された掃海チームが近海の機雷を排除していきます。その後、1950年に朝鮮戦争が勃発。太平洋にまともな掃海部隊を持たなかったアメリカ軍から海上保安庁に掃海が要請されます。

釜山まで追い詰められた国連軍ですが、仁川に上陸、北朝鮮軍の背後を取って逆襲し、たちまち38度線まで押し返します。その後、東海岸の元山への上陸作戦が企図され(実行はされませんでした)、その水域に漂うソ連製の機雷の掃海が、特別掃海隊に命じられます。国内政治的にも掃海隊派遣がすんなり認めれるはずもなく、「戦争を放棄したのに何故また戦地へ」という隊員の疑問に満足な回答も与えられず、アメリカ様に言われたから、あるいは講和条約に響くから、との理由でとりあえず送り出される隊員の非業、にもかかわらず任務となるときっちり仕事をしてみせるプロフェッショナリズムに星二つです。

しかし、不幸にも掃海艇の1隻が触雷、轟沈して1名の死者を出します。それがタイトルにある「最後の戦死者」。その後、掃海隊の一部が任務続行を拒否して帰還、アメリカ軍との緊張のやり取りがあります(背景を語らず、任務拒否という事実だけをもって後に政治利用しようとした輩がいるとか)。

朝鮮戦争への参戦、それがこっそり行われたこと、最前線の隊員たちの苦難、外国軍(韓国を含む)からの感謝など、殆ど伝えられてこなかった昭和史が重みを持つ当事者の証言によって描き出されます。星一つ。本書を読むと、もしかするとなあなあで朝鮮戦争に参加した事実が、今もって太平洋戦争を総括できない理由になっているのではないか、だからこそ今も、為政者にとって都合がいいように何ごとも「拡大解釈」が行われているのではないかと空恐ろしく思えてしまいます。



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by non-grata | 2014-01-27 11:23 | 読書

(B01)村上海賊の娘/和田竜(★★★★★)

d0252390_830333.jpg今年最初に読了した本がこちら。昨年10月頃、書店店頭のポスターを見かけて以来、読もう読もうと思っていたのが年末にずれ込んでしまったのです。

流行作家=軽佻浮薄の印象があったので──誰とは言わんが、ほぼワンセンテンスごとに改行してすっかすかの歴史小説を読まされたので、それまで和田竜作品は敬遠していたのですが、思いの外、濃密な内容に引き込まれます。星一つ。もちろん歴史小説なのでフィクションなのですが、時折挿入される史料からの引用がリアリティを与え、うまい嘘のつき方になっているのに星一つ

物語は、瀬戸内海に覇を唱えた村上水軍、その中の能島村上の景姫の人物像を描きつつ、信長と本願寺との戦いを描写。上巻の大半はタイトルに「海賊」を冠しつつも地上戦が主体です。その意外性に星一つ

狂信の輩と正面から戦っても疲弊するだけと、信長は本願寺に対して兵糧攻めを行います。こうなると籠城側は、外からの救援の見込みがない限り絶対に勝てません。その鍵を握るのが(1)越後の上杉謙信と、(2)中国の毛利でした。陸は封鎖されていても海からなら兵糧を運び込める。そこで本願寺は毛利に依頼しますが、毛利としては(正確には小早川としては)謙信が動いてくれないのではリスクが大きい。しかも自家だけでは無理な話で、村上海賊に頼らなければならない。村上・毛利・小早川の思惑が静かに衝突します。

自家の存続を第一に考えるのが戦国の倣いなれど、他者を慮って行動を起こす景姫によって事態は大きく動き、木津川合戦が始まるのであります。このあたりになると史料もないようで、急に引用が減って「あ、盛ってるな……」と明々白々になりますが、外連味たっぷりなのでよしとしましょう。この価値観の違いが内面だけでなく、冒頭で醜女醜女と面罵される景姫が、当時の美的感覚からするとそうだからで、現在の価値基準では美人──南蛮人との交流があった当時の堺の感覚でも美人という外面の価値観の違いともリンクしているのも面白い。星一つ

下巻に入ってからの海戦の描写が白眉。命の価値が現在と異なるので殺し合いもあっけらかんとしたもの。それが泉州侍の心意気でもあるわけですが、『地獄でなぜ悪い』のカチコミシーンを見ているようで微笑ましくもあります。星一つ

製作費がかかりすぎるので映像化は難しいと思いますが、ロマンスあり、スペクタクルありなので、いっそ景姫が能島に流れ着いた外国人という設定で「ラスト・サムライ」ならぬ「ラスト・パイレーツ」でハリウッドで映画化するってのは。



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by non-grata | 2014-01-22 10:16 | 読書

二人の『海賊女王』

d0252390_7573772.jpg書店でサイン本が売られていたのでとりあえず上巻を購入。面白かったので下巻を購入しにいったら、サイン本は売り切れだった。上下巻ともサイン本を集めようとしていた人には悪いことをしました。大量のサイン本もしかり、上下巻のボリュームで16世紀のイングランドとアイルランドの二人の「海賊女王」の生涯を描く筆力しかり、皆川博子女史は化け物か! いやいや老いてますますお盛んで何よりです。

海賊女王。一人は私略船免状を発布し、堂々とスペインの商船を海賊に襲わせるエリザベス女王。もう一人はアイルランド北西部の氏族であるオマリーの族長ドゥダラの娘、グラニュエル。ただし、エリザベスは自ら手を下すことがないのに対し、グラニュエルは最後まで最前線で戦う。故に、エリザベスの絶頂期がイギリス海軍がスペインのアルマダを「破ってくれた」海戦だったが、グラニュエルのそれは15歳で嫁入りした後、自らの手で水軍をつくり上げた時にあった。

恥ずかしながらグラニュエルの存在を知らなかったのですが、こちらに簡潔にまとめられていました。続きはこちら。小説とは細部で異なりますが、小説は小説、より面白くなっていればそれでいいのです。

物語は、ペスト禍に苦しめられるロンドンにおける、イギリス政界の薄暗い駆け引きで幕開けし、そこにアイルランドの女海賊から女王に謁見賜りたいとの書状が届く。枢密院の顧問官がその素性を探るべく、部下をダブリンに派遣し、女海賊グラニュエルの物語が始まる。10歳で、17歳の従者アランを得るところが振り出し。ゲールの誇りを持ち、イングランドへの敵愾心を燃やす彼女がどうしてエリザベスに嘆願書を送ったのか? アイルランドとイングランドの戦いが継続する中で、次第にその謎が明かされていくわけです。

皆川女史、やはり自ら手のを血で染めても責任を全うするグラニュエルのほうに思い入れがあるようで、老いに抗おうとするエリザベスが(憎めないけれど)滑稽に描かれております。しかし、二人の女王に共通する不幸は、その地位を奪う、または利用しようとする男たちがいる一方で、その男たちが権力争いに明け暮れ、ともすれば大義がどこかに忘れ去られるということ。いや、イングランドに至っては大義すらない。ゲールにはあるが、ところが時にグラニュエルはリーダーであるより母親であることを優先して、大義が置き去りにされてしまうのです。困ったものだ。

ということで、本作のもう一つのテーマは「家族」。15歳で結婚し、種違いの子3人をもうけたグラニュエルをはじめ、従者アランもずいぶん後になって──大失恋をした後──結婚し、家族を持ちます。イングランド側にも家族は登場しますが、ゲールほど濃いつながりはありません。親子ですら信頼できない関係。ところがそのイングランドが世襲制をとっているのに対し、ゲールの法制度上はそうはならないところが面白い。

で、家族と言っても血がつながっているかどうかは関係なく、運命共同体が一つの家族であり、クランになる。クランがすべきことは、その存続を第一に考え、年寄りは若者のために為すべきことをする。クランの存亡がかかっている時は、若者も一緒に戦うが、そうではない時、例えば難破したスペイン船の乗り組を助けるために嵐の海に出ていく時は年寄りが率先し、若者の命をそんなことで危険に晒したりはしないのだ。外交上、やむを得ず参加しなければならない戦いにしてもそう。年寄りのために若者が犠牲になるなんてそんな馬鹿な話はなく、若者のための道を拓いてやるのが年寄りの役目なのだという、主張がくみ取れます。



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by non-grata | 2013-09-21 08:36 | 読書

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