おっさんノングラータ

カテゴリ:映画( 63 )




高卒vsビン・ラディン|『ゼロ・ダーク・サーティ』感想

普段使いのinfinityのノーズパッドが壊れました。
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長く使っているので経年劣化か? 片方は生きているので、なぜか机の引き出しにあった靴用接着剤の点づけで応急修理。買い換えるか。

眼鏡市場にinfinityそっくりなデザインのモデルがあったけど、あれは許されるんだろうか。




d0252390_942573.jpg少し前にこんなニュースが話題になった。

ビンラディン殺害の「武勲」の元米兵 年金や保険ない生活苦

最後まで記事を読むと、タイトルに「!?」をつけるべきかという気もしてくるが、アメリカの帰還兵が辛い思いをしたり、虚無感に襲われたりするのはベトナム戦争、いや朝鮮戦争以来の伝統か。ともあれ、ビン・ラディンを殺害したネプチューン・スピア作戦をテーマにした『ゼロ・ダーク・サーティ』にしてみれば、映画への興味を喚起するニュースであった。

「ゼロ・ダーク・サーティ」とは午前0時30分を指す。海兵隊の特殊部隊SEALがビン・ラディンの潜伏先を襲撃した時間で、劇中でもマヤ(ジェシカ・チャステイン)が時計を見ると、その時間が表示されているというシーンがある。この襲撃が本作のクライマックスになるが、そこに至るまでが長い。決して退屈というわけではないが、何せビン・ラディンを追い詰めるのに10年もかかったのだから仕方がない。もともと本作は、その10年間の失敗をテーマにしていたそうだが、脚本を全面的に書き換え(そりゃそうだ)、ネプチューン・スピア作戦までカバーすることとなった。この作戦シーンは全部で25分あるが、実際の作戦よりほんの数分、短いだけだという。

以下、ネタバレあり。

物語は高卒でCIAにリクルートされた(ことは後々明らかにされる)マヤが、パキスタンへ赴任したところから始まる。捕虜を拷問したり、アル・カイーダに騙されて仲間を自爆テロで失ったりしながらビン・ラディンの隠れ家を突き止める。突き止めてからも、「イラクに戦争しかけたけど大量破壊兵器なんてありませんでした、てへ」の失敗を繰り返すわけにはいかないから、CIAは慎重になる。このマヤが見つけた隠れ家にビン・ラディンが潜んでいる可能性を長官に問われて、大の男たちは煮え切らない返事。パキスタンからさっさと本部へ引き揚げた元上官は「よくて60%」と答え、マヤを呆れさせる。「100%、でもそれだと皆びびるから95%」それがマヤの答えである。男前だ。

最初のCIA長官とのブリーフィングでも、マヤの男前ぶりは発揮される。長官に誰何され、「この場所を見つけたマザーファッカーです、長官」ときたもんだ。

前掲のニュースの中でも触れられている、元SEAL隊員による著書『NO EASY DAY』にもマヤに相当する人物がちらっと登場するらしい。同書では、実際は隠れ家を爆撃するのか、それとも特殊部隊で襲撃するのか、喧々諤々の議論がかわされたそうだが、映画ではその件はカット。代わりにマヤに、SEAL隊員たちを前にしてこう言わせる。「率直に言って、あなたたちとその装備を送り込むつもりはなかったの。できれば、爆弾を落としてやりたかった。でも、誰もそこまで情報を信じてくれなかったってわけ。だからあなたたちをカナリアとして使います。もしそこにビン・ラディンがいなければ、こっそり戻ってくることができる。でももしいれば、殺して。私のために」

マヤが帰国するための専用機(C-130か?)に乗り込むシーンで幕が下りる。パイロットが「あんたは相当な大物なんだな。どこでも好きなところへ飛ぶぜ」と軽口を叩く。これが第二次世界大戦の映画なら軽口で返せるかもしれない。しかしこれは、誰が誰と何のために戦っているのかさえもよくわからないテロ戦争。彼女がただ涙するのも仕方がなかった。



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by non-grata | 2013-02-19 10:28 | 映画

早回しは残念|『デッド寿司』感想

d0252390_1649638.jpgコンドームやトマトが人を殺すなら、寿司が人を食ったっていいじゃない! というB級、いやC級テイスト全開の作品。井口昇監督作品としては、『片腕マシンガール』以来の鑑賞となった。『片腕〜』はいい映画ですよ。

父親のような寿司職人になりたいと、武田梨奈は修業に勤しむが、女であるが故に魚の生臭さを助長することに悩んでいた。女臭さをなくすために武道にも取り組むがうまくいかず、家を飛び出してしまう。彼女が行き着いたのは場末の旅館。そこで仲居として働くことになる。しかしその旅館の敷地には、慰安旅行に来た製薬会社の社長を抹殺すべく、復讐を企てるマッド・サイエンティストが潜んでいたのである。

社長に怨みを抱く科学者(ネタバレすると元社員ですな)が開発したのが蘇生薬。これが『死霊のしたたり』を思わせる蛍光色の薬で、甦ったものは凶暴になるところも同じ。だから寿司も凶暴化して人を襲うのだ──寿司のまま甦るのはおかしいとか、シャリはどうなっているとか、突っ込むのは野暮というもの。寿司が交尾して増殖する世界なのだ。

全編を貫くチープ感に脱力した笑いしか出ないが(だか、それがいい)、元板前で今は旅館の雑用係を務める松崎しげるがいい味を出している。そして黒い。

もちろん、武田梨奈のアクションが素晴らしいのは言うまでもなく、決めポーズも格好いい。序盤で見せる「スーパー・パース」と、階段でのマグロ男との斧のやり取りがお気に入り。ただ、早回しの多用は残念。『ハイキック・ガール』『KGカラテガール』と、本物のアクションを楽しませてくれただけに、ここは物足りないところだ。

女体盛りや日本独特のディープなキスなど、本作を観た外国人に過てる日本文化を植え付けようとする件には思わず失笑。そもそも生の魚や卵を食べるというのは相当にユニークな文化なのだから、日本人の男女が親密になると、卵の黄身を口移しでラリーするのが伝統だと言っても、さもありなんと思われるかもしれない。



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by non-grata | 2013-02-02 17:19 | 映画

どちらも波乱含み|『宇宙戦艦ヤマト2199 第四章』感想

すっかり恒例となった、公開初日鑑賞&1万円のお布施(BDとパンフレットを劇場で購入)。テレビ放映も決まったそうで、めでたしめでたし……って、日5ですか! てっきり深夜枠と思ってた。




d0252390_1324529.jpg『宇宙戦艦ヤマト』がエポックだったのは、それまでの勧善懲悪でない、敵には敵の都合があるという設定だった。戦争が外交の延長であるということは、クラウゼヴィッツより先にアニメで学んだ。もちろん、人間同士の戦争を扱った『機動戦士ガンダム』のほうが、よりリアルにそのことが感じられたが、対異星人である『ヤマト』のほうが、戦争の在り方がはっきり描かれていたように思う。

以下、ネタバレ。

第四章では第一次外惑星戦争とでも呼ぶべきガミラスとの戦い、その発端の真相が明らかにされる。通説とは異なり、先に手を出したのは地球側だった。もっとも、平和裡に事を進めようとしたところで、メリダ・ディッツが言った通り、降伏すれば寛大な措置がとられ(やったね! ガミラス二級市民だ)、さもなくば破滅するまで徹底抗戦を強いられるので結果は同じだったかもしれない。地球にしてみればガミラスの属国になる選択肢はなく、独立を選ばざるを得ない──ならば宣戦布告されたのと同じではないか。まさに事実は一つ、真実は立場の数だけあるのだ。

箝口令が出されているはずだったこの事実はヤマト艦内にわずかずつ浸透し始め(機関室は会社の給湯室かっての)、クルーの結束を揺るがすことになる。もともと「イズモ計画」寄りだった新見(意外に少女趣味)はこの機に乗じて揺さぶりをかける……らしい。もともと真田が謀反を起こす設定だったらしいが、その役目を薫ちゃんが引き受けるのだろうか。

さて、一枚岩でないのはヤマト側だけではないことが、第四章で描かれる。ガミラスの将星たちの間でも、モチーフにしているドイツ軍同様に軋轢が生じ始めている。国民人気の高いロンメル=ドメルは、テレビ・シリーズではヤマトの好敵手に過ぎなかったが、『2199』ではデスラー政権への影響力も持ちそうだ。あるいはデスラー暗殺計画が行われ、その嫌疑がかけられるかもしれない。いずれにしてもガミラスの政治体制が盤石でないことが、物語のキー・ストーンになるに違いない。

正義の反対は別の正義であることを、最初のテレビ・シリーズは教えてくれた。『ヤマト』を、太平洋戦争に負けなかった日本の仮想戦記と揶揄する声もある目が、勝利した上でその結論に達した意味は大きい。冷戦構造健在だった当時、西は正義、東は悪という図式が一般的だったのだ。パックス・アメリカーナが過去のものとなり、日本が凋落し、軍事的にも経済的にも中国が台頭してきた21世紀、正義を、戦争を、『2199』がどう描いてくれるのか、非常に楽しみである。



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by non-grata | 2013-01-16 13:24 | 映画

憶測が楽しい佳作|『ルーバー』感想(ネタバレ)

d0252390_11183517.jpg以下、映画を見終わってから悶々と考えていたことを列挙します。超ネタばれ&憶測です。パンフレットやらどこかの解説を見たわけでなく、かつ一度しか観ていないのが勘違いや見過ごしに起因する誤りがあるかもしれません。




『ルーバー』を観ていて、どうにも気になるところがあった。

(1)死体処理が面倒だから、過去に送って処刑するというのは、割に合わなさすぎないか?
そのためにタイム・マシンを用いるほうがコスト高だし、30年後のジョー(ブルース・ウィリス、以下ハゲ)の妻をあっさり殺害している。となれば、その死体をタイム・マシンで30年前に運んだと思われるが、だったら未来で殺して死体だけ過去に送ったほうがリスク小さくね?

じゃあ、何のために未来人を過去に送り込むのか? それが定められた歴史だからとしたら?

ここからは仮定になるが、シドがレイン・メーカーになるためには2044年に悲惨な体験をしなければならない。例えば目の前で母親が殺されるような。それは未来人の手によって引き起こされたわけだが、タイム・マシンを用いて過去を改変することで、未来に様々な変化が発生している(バタフライ・エフェクト)。何が自分の力を失わせるのかわからない、そこでレイン・メーカーは歴史を「正しく」進めるためにエイブを過去に送り込み、「ルーパー」をでっち上げさせたのだ。セルフ『ブラジルから来た少年』である。

レイン・メーカーは未来人が自分の母親を殺害することは知っている。それは、ループを閉じられなかった者の犯行であるが、誰であるかまではわからない。そこで自分の素性(生年月日+病院の番号)を伝えて過去に戻し、自分を襲わせるのだ。そのせいで自分が死ぬリスクはないのか? 最強のテレキネシスがあるので、その点については安心していたのだろう。実際、ハゲもすんなりとは殺せなかったのだから。それに過去の身柄を押さえておけば、未来人はどうとでも処理できる。

(2)ハゲがエイブを始末するシーンがなかったのは何故か?
劇中で唯一、未来人同士が邂逅する場面であり、何故カットされたのかは不明だが、観客に憶測を挟む余地を与えてくれたことに感謝したい。エイブが全てを吐露し、ルーパーの役目がレインメーカーを生み出すことにあると知らされるのだ、きっと。事切れるエイプ、躊躇うハゲ。そして決戦場へ臨む。

2044年のジョー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)にとってはこれが2回目のループであり、『シュタインズ・ゲート』風に言えば、α世界線からβ世界線へと移行する鍵を握る人物である。α世界線、即ちレイン・メーカーが生まれる未来が見えたのはきっとそのためだろう。ハゲも、母親を殺しただけではレイン・メーカーが生まれてくることを知っている。シドを殺さなければ──ここでしくじっても、タイム・マシンが完成したらもう一度ループして追いかける、くらいのことを思ったかもしれない。

しかし、ジョーの決断が未来をβ世界線へと移行させる。レイン・メーカーは誕生せず、タイム・マシンも悪用されることもない未来だ。ハゲのおかげでルーパーたちは全滅しているのでタイム・パラドックスも起こらないことになる。かくして『ブラジルから来た少年』作戦は失敗に終わったのだった。

ところが、β世界線ではサラがジョーの子どもを身ごもったことで、新たな悲劇が待っていたのだった……と、いろいろ妄想して楽しめる。



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by non-grata | 2013-01-15 13:24 | 映画

無難にまとまったお話|『劇場版「青の祓魔師」』感想

昨年は1月1日にツーリングに行ってすっ転んだから今年は自重……というわけでもないのですが、久しぶりの寝正月でした。まともに身体を動かしたのと言えば、「松原六社参り」に出かけたくらい。昨年はST250に乗って午前中で済ませましたが、今年は二日に分けて徒歩で制覇。二日とも一万歩歩くという目標を達成できましたが、3日以降は怠惰に過ごしたのでした。

そんな中、重い身体を動かして観に行った映画がこれ。『ラ・ミゼラブル』とどちらにしようか悩んだのですが、上映時間が短いほうを選ぶあたり、今年も志の低さがうかがえます。




d0252390_1932527.jpg原作も知らなければテレビアニメも見ていなかったので、世界観や人間関係を把握するまで大変でしたが、映画を観た後で解説を受けて補完。そんなわけで、本作について語る資格なんて持ち合わせていないわけですが、

祭りのシーンが圧巻
『パプリカ』のクライマックスを彷彿とさせる盛り上がり。テレビCMでも少しだけ見ることができますね。冒頭、日常から祭りが始まることを示唆する流れで、テレビアニメにとって「劇場版」がハレの舞台であることを再認識させられます。

出落ち
11年前の兄弟のモノローグから始まるわけですが、これが見事に出落ちとなっておりまして、もちろん狙ったことではあると思います。が、意外性なしで最後まで突っ走ってしまい(一応、絵本に対する兄、弟の感想は途中まで伏せられているのですが、隠すほどのものでなし)、まあ、そうなるよね、という展開となります。原作未完の状態で登場する劇場版オリジナル・キャラクター(CV:釘宮理恵)が、将来的に本編に深く関わっていくわけにもいかず。

エンド・ロールは見とけ
なんですが、原作者・加藤和恵氏が描いたカットがエンド・ロールでちょろっと表示されまして、それが微笑ましいというか、どちらかと言えば救いのない話に救いを与えてくれてます。

くらいの感想を持った次第。あ、少しネタバレになりますが、「楽しいことも嫌なことも思い出を忘れたくない=忘却」というのと「嫌なこと、自分にとって都合が悪いことを理解できない=痴呆」というのは似て非なるものだと思うわけですよ。そこのところが引っかかって、途中から醒めた目で見てしまったわけです。




宇宙戦艦ヤマト2199』第四章「銀河辺境の攻防」はもちろんとして、『LOOPER』とか、今週末からの映画が楽しみ過ぎるのです!



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by non-grata | 2013-01-07 19:31 | 映画

性差の違いは?|『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』感想

新幹線で眠ると、どうしてああ疲れてしまうんだろう。




d0252390_1181511.jpg男子だけがかかる疫病「赤面疱瘡」によって男性人口が激減した江戸時代の日本。それまで男性がしていたことを女性がするようになり、力仕事はもちろん、政治も、将軍も、女性が務めるようになった。当然、世継ぎを確実なものとするシステム「大奥」には、見目麗しき男性が全国から集められる。よしながふみのコミックを原作とし、少し前までドラマも放映されていたので、その設定はお馴染みのことと思う。

よしながふみと言えばBLコミックの大家。あまりコミックは読まないのだが、週刊モーニングで連載している『きのう何食べた?』は愛読している。極めて実践的なレシピが載っているのも嬉しい。

それはさておき、男女が逆転しても大奥におけるドロドロとした人間模様は同じ。となると、大奥というシステムが憎悪や怨嗟を簡単に生み出してしまうのね、と妙に納得してしまう。江戸時代に詳しい人なら、史実と劇中で描かれていることの差違と性差の関連に気づくのだろうが、生憎その辺りのことには疎いので、(大枠では)やってることは一緒じゃん、と思ってしまう(小並感)。

堺雅人に西田敏行、菅野美穂に尾野真千子と、芸達者な役者が揃っているのだから、普通の大奥同様に、ねちっこい演技を期待するのも一緒。菅野美穂をめぐっての、堺雅人と尾野真千子との静かな戦いが見どころの一つ。

男と女の恋愛には打算が生じるけれど、男と男ならピュアな恋愛が期待できる(らしい)。綱吉と吉保は(男女逆転して)男同士だからピュア。右衛門佐と綱吉は男女なのだけれど、右衛門佐の役回りは女であって、最後には男に戻り、綱吉の役回りは男であって、最後には女に戻ってと、いろんな交錯の後に打算のない男女の恋愛に発展して、男×男よりピュアな関係になっているのが見事だが、これはもう、菅野美穂と堺雅人の演技力の賜物だろう。綱吉の閉経後に結ばれるあたりやっぱり男×男じゃないかとか、出産という一大イベントが雌を打算的にさせるのだなあとか、種の保存に対する本能だとか、底意地の悪さが透けて見えそうで見えないのはさすがだ。



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by non-grata | 2012-12-27 11:55 | 映画

二人にはタッチャブルなネタ|『最強のふたり』感想

アニメ『中二病でも恋がしたい』が最終回を迎えまして、さすがの京アニ・クオリティはおいとくとしても、最後の一ひねりが意外性をもたらせてくれて、実に面白かった。ガール・ミーツ・ボーイ&ボーイ・ミーツ・ガールという螺旋構造だったんですね。そこがまた中二病らしくてよろしいじゃありませんか。

中二病が目的化してしまうといたたまれないですが、退屈な現実(と書いて「リアル」とルビを振る)を変える手段としてなら大ありだ──というのが、最後のナレーションの趣旨なんでしょう。




d0252390_8301383.jpg金はあるけれど事故で頸椎を損傷し、首から下が麻痺したフィリップ(フランソワ・クリュゼ )と、失業保険目当てで彼の介護に応募して、その飾らない態度が気に入られて本採用されたドリス(オマール・シー )との間で芽生えた友情を描く感動作、ということになるだろうか。フランスが抱える問題がその傍流に描かれる。その最たるは、貧困のために仕事に就く機会さえ得られない移民の貧困層。「失業保険目当て」と書いたが、就職活動をしたけれど、3回NGを食らうと失業保険が出るシステムになっている。ドリスは最初から自分が職に就けないとわかっていて、フィリップの介護士募集に応じるのである。

移民は学がなく、まともに働く気がない。そんな偏見もある。ここからはネタバレになるが、きちんと職に就いたドリスは、貯めた金で運転免許を取得し、再就職に成功した。フィリップとの交流で身につけた芸術に関する知識も、面接で役立った。適切な教育とチャンスが与えられれば、成功を収めることができるのだ。

白人の富裕層がどれだけレッテルを貼るのが好きかは、フィリップがしかけたいたずらでも明らかだ。その結果に対して調子に乗るドリスと、それを諫めるフィリップが面白い。

二人とも、差別される側であり、逆差別される側でもある。しかし二人の間にはそのどちらもない。この関係は最強だ。だから、「そのネタは笑えない」とフィリップが顔をしかめたドリスのいたずらでも、最後には二人して笑い飛ばせる*。ネタにされた独裁者は、障害者は断種、有色人種は劣等民族と決めつけていた。1940年5月、電撃的侵攻でフランスを征服しながら、あと一歩のところで連合軍部隊を取り逃がしたのがダンケルクだったのだ。ダンケルクからイギリスへ撤退した部隊は、後にヨーロッパ解放の原動力となる。その地で、フィリップとドリスは永遠の友情を確かめ合った。何とも象徴的なエピソードである。

* ヨーロッパのナチ・アレルギーは相当なもので、プラモデルのパッケージであってもハーケンクロイツは塗り潰されているし、デカールも分割されてぱっと目にはわからないようにしてある。



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by non-grata | 2012-12-21 09:28 | 映画

ちょっと詰め込みすぎ|『砂漠でサーモン・フィッシング』感想

近所の投票所が老人の寄り合いと化している件について。

投票率が6ポイントほど下がったと言っていましたが、実際どんなもんなんでしょ。投票率が低下したため組織力を持つ政党に有利に働き、政党数が増えたために浮動票が割れてますます有利になり、というわかりやすい選挙結果でした。

今回、自民党に投票したと思われる高齢者の多くは年金生活者であって、デフレのほうがありがたいはずなんですが、その自民党はインフレ・ターゲットの導入を示唆しています。本当にするのか、それとも投票してくれる有権者に阿って経済政策がぐずぐずになるのか、気になるところであります。

それはそうと、この前は近所のキッズランドで売られていた『ガルパン』の八九式中戦車が売り切れていてちょっと悲しい。35は大きいので48で展開してくれたら嬉しいんだけど。どうせフィギュアがつかないのなら……来年のワンフェスでは1/35スケールのフィギュアが大量に発表されるんだろうか。




d0252390_1065115.jpg「砂漠で鮭釣りをしたい」という依頼が、イエメンの大富豪(アマール・ワケド)からイギリスの水産学者のジョーンズ博士(ユアン・マクレガー)のもとに届く。そんな馬鹿な話、実現できっこないと適当にあしらおうとするが、大富豪は本気も本気、適当につくった見積もり5000万ポンドがイギリス政府に送られる。中東との明るい話題を探していた首相広報官(キルスティン・スコット・トーマス)もこの話に飛びつき、「サーモン・プロジェクト」は本格的に動き出す。

ここからネタバレあり。

大筋はそんなところだが、ジョーンズ博士が迎える「中年の危機」、大富豪のイギリス資産を管理している投資会社のコンサルタントハリエット(エミリー・ブラント)の恋物語、ただ釣りをしたいだけでなく、実は砂漠を緑化したいという大富豪の願い、アルカイダ(だよね)による暗殺未遂とダム乗っ取り、イギリス政府内のあれやこれやと、盛り沢山な内容。もちろん最後はハッピー・エンドに収斂されて、「自分のDNAに正直にあれ」「信じる者は救われる」という結論に落ち着く。

広報官と首相のやり取りが「LINE」のようなアプリで表示されるのが面白かったが、原作小説がメールや新聞、雑誌などの文章で構成されているというから、なるほどそういった映像手法をとったのか。天然鮭の譲渡に反対する各種の釣り雑誌も同じ流れだろう。

結局、釣り愛好者たちのバッシングを受けてプロジェクトは頓挫。プライベートでも、仕事でチャンスが舞い込んだと勝手に6週間もジュネーブに赴任することを決めた奥さんと破綻寸前となったジョーンズは離婚を決意する。「半年もすればここに戻ってくる」と奥さん。「あなたのDNAにはそう刻まれているの」

これでピンときたジョーンズは、養殖鮭でも遡上するはずだと確信。プロジェクトは再び動き出す。……だったら、ヒントを与えてくれた奥さんに感謝すべきだろう、とか、鮭に引っかけているなら、外洋に出ても最後は長年連れ添ってきた奥さんのもとに戻るんじゃないの? とか、どうにもすっきりしない。ハリエットが奇跡の生還を果たしたボーイ・フレンドをあっさり振ってしまうのも、彼がいい奴だけに(最後に見せたアラブ人への偏見はとってつけたようだったし)モヤモヤする。



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by non-grata | 2012-12-17 10:40 | 映画

そんな奴おらんかったんや|『桐島、部活やめるってよ』感想

行きが『ted』で帰りがこちら。上映時間は103分なのでぎりぎり。台湾からの帰りのほうが飛行時間が短いので、サービス開始と同時に見始めないといけません。

春頃に台湾に行った時はちょうど良い長さの映画が他になくて『ダーケストアワー 消滅』に挑戦。行きは途中で寝て、帰りで雪辱したものの、寝ていたほうが良かったかな、という内容でした。




d0252390_13483431.jpg今の高校生活が映画で描かれているようなものであれば、30年近く前、自分が経験した高校生活と大して変わっていないのに驚かされた。となると、やはり高校生活というのは日本社会の縮図であり、最も日本人らしさが発露される場なのだろうか。

最初に、体育部、文化部、帰宅部にカテゴライズされ、社会のヒエラルキーが形成される。体育部が上位で文化部は下位、帰宅部はその両方に属するアウトローだ。体育部、文化部の中でも上下ができる。それに友人の多寡、勉強の出来不出来や恋人の有無が影響する。

とは言え同じ高校生、この程度の無意識の上下関係は、ちょっとしたアクシデントでひっくり返る。そこで体制を維持したいと誰もが思い──意外かもしれないが、下位にいる者が上位にいきたいとは必ずしも思っていない。自らヒエラルキーに属していないと主張するかもしれないが、下位は下位で今のポジションに留まっても不都合はないのだ。むしろ上位に祭り上げられれば面倒が増える──組織全体を枠組みを変えることなく引っ張ってくれる存在を求める。

それが桐島である。バレー部を引っ張り、彼女持ちで多数の友人を持つ桐島が、突然、部活をやめると言い出した。しかも、誰にも告げずに。

大袈裟だが、玉音放送が流れて日本国民は大いに狼狽えたように、精神的支柱が突然いなくなった高校生たちもまた、昨日までの日常が奪われ、混乱する。国民の数だけ終戦の日のエピソードがあったように、「国体」ならぬ「校体」が突然の発表をした日にも、生徒の数だけドラマがあった。誰もが終戦と無関係でいられなかったように、桐島と直接関わりのなかった下位グループに属していた前田(神木隆之介)にも、余波が襲いかかるのである。

社会の再構築にはガラガラポンが手っ取り早い。図らずも、屋上での前田の提案がその合図となる。

以下、ネタバレになるが、桐島は最後まで姿を現さない。その桐島の幻影を追って右往左往する生徒たちは、本能だけで徘徊しているゾンビそのもの。実は上位にいる者がゾンビで、劇中劇でゾンビの格好をする下位の生徒に襲われるのが何とも皮肉だ。喧嘩(?)の後は夕陽に向かって一緒に駆け出して全てをリセットできるのが学生の特権──のはずだが、その騒動で新たな秩序が生まれるかと思ったら、前田と菊池(東出昌大)の邂逅が、新たな「桐島」の誕生を予感させる──が。そこでもう一回、変調があって、物語は美しく終わる。

「俺たちは戦わなければならない、この世界で生きるしかないんだから」だっけ。その通りなんだよな、前田。



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by non-grata | 2012-12-05 16:00 | 映画

まさに淫乱テディ・ベア|『Ted』感想※2013年日本公開予定

先週は久々に台湾へ出張。機内映画を観るのが密やかな楽しみですが、だいたい100分で終わる映画でなければ、クライマックスで画面がブラック・アウトするなど、悲しいことになります。「続きは帰路で」なんて事態は避けたいですよね。




d0252390_9195660.jpg今から27年前のクリスマス、友だちのいない8歳のジョン(おっさんになってからはマーク・ウォルバーグ)はプレゼントにテディ・ベアをもらう。テッドと名付けられたそのぬいぐるみは、「I love you」だけを再生できたが、ジョンの祈りが奇跡を呼んでテッドに生命が吹き込まれる。生きたぬいぐるみとなったのだ(奇跡に理由なんていらない!)。

クリスマスの奇跡に国中が湧き、テッドは一躍セレブに──そしてもてはやされた子役が長ずるにつれてドラッグやセックスに溺れて身を持ち崩し、人々の記憶から忘れ去られるように、テッドも華やかな舞台からフェード・アウトしていった。

そして2012年。ジョンは35歳になり、テッドも、見た目はぬいぐるみのままだけれど中身はいい加減なおっさんになり果てていた。酒好き、女好き、ドラッグ好き、映画好き。そして何よりジョンが馬鹿騒ぎをするのが好き……なのだが、当のジョンは人生の岐路に立たされていた。勤務先では昇進のチャンスだったし、恋人ロリ(ミラ・キュニス)とはつき合って4年になり、そろそろ結婚を考えている。テッドと一緒にまだまだ面白おかしく生きるべきか、誰もがするように「テディ断ち」をして人生に真剣に取り組むべきか。

機内映画用に編集されたバージョンなので、細部が違うかもしれないことをお断りしておいて(機内食を食べながら見る人も多いはずだが、ジョンがいない間にテッドが売春婦を呼んでひどい罰ゲームをさせるエピソードはカットされていませんでした。念のため)。

既視感のあるストーリーで、すこぶるできの悪い友人、あるいはハンディを負った親族を「生きたぬいぐるみ」に置き換えただけ、とも言える。見た目可愛いぬいぐるみが汚い言葉を使ったり、ひどいことをするギャップで笑わせるのは、卑怯と言えば卑怯だけれど、やったもの勝ち。二人が好きな映画(本作を観る前に最低限『フラッシュ・ゴードン』は見ておきたい)のネタは、楽屋落ちにも思えるけれど面白い。

製作サイドの悪のりと言うか、「面白いこと考えたからやってみちゃった」感が、劇中のテッドそのまま。でもその感覚は、歳を取るごとに薄れてしまい、さらには「面倒だから」「現実的でないから」「大人はそういうことやらないし」と自分で勝手に理由をつけてやらなくなる。それはそれで大人の態度とも言えるし、常にテッドのように脊髄反射で行動していたら周囲に迷惑がかかる。けれど、面白そうなことを目の前にして、それに挑戦しない人生なんて生きる価値があるだろうか?

テディ断ちをするかしないかの二元論でなく、心の中にしまっていた淫乱テディ・ベア(これほどぴったりくる呼び名はないはずだ)を時々取り出して、人生を楽しみたいものだ。



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by non-grata | 2012-12-04 10:12 | 映画

今年は何でも五つ星
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