おっさんノングラータ

ダークナイト ライジング

d0252390_1324595.gifつくづくアメリカ人は正義の話をするのが好きなのだと思う。もっとも朝鮮戦争以来の半世紀で価値観が大いに揺らいでしまったことを思えば、何かにつけて──エンターテインメントであっても、正義とは何かを考えたり語り合ったりするのは必然なのかもしれない。古い映画になるが、ベット・ミドラーが戦場の兵士を慰問する『フォー・ザ・ボーイズ』は、第二次世界大戦、朝鮮戦争、そしてベトナム戦争と推移するにつれ、世界は勧善懲悪で割り切れないことをわからせてくれる。湾岸戦争の年に公開されたことも興味深い。

それはそうと『ダークナイト ライジング』である。前作『ダークナイト』同様、本作も正義とは何かを問う作品だが、民主主義の末路を語ろうとするものでもあった。単なる聞き間違いかもしれないが、ベインがバットマンに「民主主義の最後を見届けろ」と言った時の字幕が「西洋文明の終わり」になっていたように記憶するが、あるいはそれは、制度として限界に達している民主主義と市場経済とをセットにした物言いだったか。

ともあれ民主主義である。ゴッサム・シティを封鎖したベインは、「市民による自治」の実験を開始する。そこに現出したのは衆愚である。衆愚が警察国家を運営し、出鱈目な裁判で不都合な人間を裁くのだ。オルテガが『大衆の反逆』で危惧した通りのことが起こる。

ならば、そこには絶望しかないのか。否、オルテガが示した通り、「選ばれた少数派」が事態を打開する。その少数派とは、打ちひしがれた少年に、まだ世界は終わっていないと教えてくれ、コートを肩にかけてくれるような、どこにでもいるヒーローのことである。彼らは本物の警察を救い出し、ゴッサム・シティを取り戻す。最後の戦いで拳がものを言うのはお約束、あるいは様式美。「ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん」は己が肉体を使わねば様にならないのだ。

そうして勝ち得た尊い勝利も、大衆はすぐに忘れてしまう。偶像に頼らなければ記憶に留めておけないほど、大衆は愚かということか。だから常に、誰かが「選ばれた少数派」となって大衆に良き道を示さなければならないのである。様々な問題を抱えながらも他のシステムと比較すればましと思われる民主主義を存続させるには、それしかないのかもしれない。

まあ何が言いたいかって、アナ・ハサウェイのキャットウーマンは素晴らしいってことで。
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by non-grata | 2012-07-31 15:01 | 映画

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