おっさんノングラータ

ミッドナイト・イン・パリ

芸術家がこぞって集まった1920年代、あるいはベル・エポックの時代のパリは、芸術や世界に明るくない自分にとっても魅力的に映る街で、そこを舞台にしたウディ・アレンの新作となると、見逃す手はなかった。と言ってもウディ・アレンの映画は6年ぶり、実に『タロットカード殺人事件』以来となる。

ある種のタイム・スリップもので、ハリウッドのどうでもいい映画の、金にはなるが誇りにはできない脚本書きが婚約者とその両親とともにパリを訪れる。自分の仕事に疑問を抱いている彼は、旅行中も執筆中の小説で頭が一杯。世俗にまみれた婚約者家族と距離を取るうちに、とあることがきっかけで、1920年代のパリへと足を踏み入れてしまう。そこにはヘミングウェイにフィッツジェラルド夫妻、ガートルード・スタイン、ダリ、ピカソたちが紫煙をくゆらせ、あるいはアルコールに身を浸しながらクリエイティブに暮らしていた。

小説の推敲を頼む主人公に、つまらないものを読まされると不快になるし、自分より面白いものを書かれても不快になる、とヘミングウェイ。実際にそういうことを言ったかどうかは知らないが、いかにも言いそうなことを言わせている描写がいちいち面白い。

ところで、社会人になって一定の役職につくと、「人を育てる」という課題に直面する。かつては自分も人材を育成するためにはと、人から話を聞いたり、関連する本を読んだりしたものだが、結論としては他人がどうこうして人様が育つはずはない。周囲にいる者ができるのは、せいぜいが育つ環境を準備してやることだ。馬を水飲み場に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない、というあれである。

そしてその環境も、実のところ当の本人が気づくかどうか。『ミッドナイト・イン・パリ』の主人公はそれに気づいたのだ。考えてみれば、わざわざタイム・スリップしなくとも、我々はヘミングウェイやピカソの作品に触れ、それらから何かを感じられるではないか! それがわからなければ、たとえその時代に生きたとしても、別の時代への憧憬を抱き続けるだけで終わったかもしれない。

しかし現実は映画のように簡単に、自分が行くべき「水飲み場」が見つかったからと言って、おいそれとは動けないというのが、何とも。
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by non-grata | 2012-07-04 13:02 | 映画

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